SNSの総フォロワー数108万人(2026年9月取材時)を誇る「ネコ坊主」こと、専念寺25代目住職の籔本正啓氏。専念寺は、創建から400年以上の歴史を持つ豊臣家ゆかりの寺院だ。かつては人が訪れなかった寺を人気寺院へと変えたきっかけは、猫とことばの力を生かしたSNSでの発信だった。今では、掲示板に綴ることばが「話題のお言葉」として注目を集めている。
小学生にして寺を継ぐことを決意し、13歳から修行に励んだ籔本氏に、寺を継ぐまでの道のりと心意気、そしてことばへの思いや未来の構想を語ってもらった。

Profile

第131回 籔本 正啓 (やぶもと しょうけい)

融通念佛宗 専念寺 25代目住職
1982年大阪府生まれ。専念寺は1597年創建、豊臣家ゆかりの寺院で、人形供養や悪縁切り、「日本一美しい」とうたう迦陵頻伽の仏画でも知られる。「ネコ坊主」の名で、寺の掲示板のことばと地域猫の写真をX(旧Twitter)とInstagramで発信し、総フォロワー数は108万人。地域猫活動「さくらねこ」にも取り組む。
著書に『ネコさんの「心にしみる」おひとりさま名言』、『大阪 専念寺 ネコ坊主の掲示板 人の悩みのほとんどは「人」 今日のことば101』(主婦と生活社)。

専念寺/ネコ坊主 Instagram。

誰も来なかった寺を変えた、猫とことばの掛け算

「正直に言うと、専念寺はもともと人が来ないお寺でした。門は閉め切り、決まった檀家さんしか訪れない。ネット検索しても上位に出るかどうか、という存在でした。

かつては、数十軒の裕福な地主さんが檀家として支えてくれていましたが、相続などで家をたたむ人や墓じまいをする方が増え、少しずつその数は減っていきました。そこへ、追い打ちをかけるようにコロナ禍が来て、お葬式のやり方も変わり、お寺の経営はさらに危なくなっていったのです。お寺は20年後に半分になると言われていますが、「その半分にはなりたくない! このままでは危ない」と私は強い危機感を覚えました。

そこで、思いついたのが、SNSの活用です。「お寺のアカウントで本格的に使ってみよう」と考え、当時流行っていたClubhouseでSNSの活用法を相談したり、質問したりしながら、少しずつ勉強しました。
けれど、お寺の写真を毎日撮って載せたところで、変わり映えしないし、何より「映え」ない。そこで、毎日お寺の前にある掲示板に貼り出している「ことば」を載せることにしたのです。
はじめのうちは、なかなか思うようにはいきませんでした。「どうしたら、多くの人に見てもらえるだろう」と思っていたところ、猫の投稿がよく見られていることに気づきました。私も猫を飼っていますし、地域の猫に去勢手術をする「さくら猫」の活動もしています。

「猫と直筆のことば」を一緒に載せたら、掛け算になるんじゃないか。そう考えて投稿を変えると、少しずつ反応が出はじめました。
さらに勢いがついたのは、ある「偶然」がきっかけでした。
それまでは猫の写真1枚に、御朱印の案内を数枚投稿していたのですが、風邪を引いて準備ができず猫の写真だけを10枚載せたのです。すると、 一気にバズりました。400人ほどだったXのフォロワー数が、1〜2週間で15万人を超えたのです。
その後、テレビや新聞にも取り上げていただき、 こまめに投稿を続けていったら、Instagramのフォロワー数は45万人にまでなりました。出版のお話も45社からいただき、3社から同時に本を出すことができました。

「人の役に立ちたい」から始まった、住職への道

私がこのお寺を継ぐことになったのは、子どもの頃の家庭の事情からでした。
私は7歳で父を亡くしました。それからは母方の実家である専念寺で暮らすことになりました。母子家庭になった私と妹を、祖母は支えてくれました。
当時、このお寺には跡継ぎがいませんでした。前住職である祖父は65歳で亡くなりましたが、次の世代にあたる母の兄は、お寺のことに触れないまま30代を迎えていました。いきなり「跡を継げ」と言われても、できるものではないですよね。母の兄は、自分の家庭を守るためにお寺を出ました。そのため、住職が不在となったのです。 お寺は自分たちの持ち物ではないので、住職がいない場合は本山(本社)から新しい住職が派遣されます。実際、専念寺の25代のうち、血筋で継いだのは4代だけ。明治時代まではお坊さんは結婚できなかったこともあって、残りの21代は全部師弟制度で、指名された人が住職になっていました。

住職がいないまま祖母が住み続けていては、新しい住職を迎えることができません。新しい住職を迎えたい檀家さんからは、「跡継ぎを決めるか、出ていくか、どうするんや」と言われるようになりました。けれど、ほかから住職が来れば、祖母も私たちもお寺を出ていかなければなりません。
そんなとき、小学校の卒業式で、私は「将来どんな人になりたいか」と聞かれて、「人の役に立ちたい」と答えました。それを聞いた母が、同じ宗派の別のお寺で住職をしている伯父(母の姉の夫)に伝えたところ、「そういう気持ちがあるなら、お寺に向いている。だったら、ここを継げるようになるまで自分が専念寺の住職を兼務しよう」と言ったのです。

その後、親戚が集まって話し合いの場が持たれ、私は自分の気持ちを聞かれました。数日考えて、継ぐことを決めました。そうしなければこの家を出ていかなければならない、というのが大きな理由でした。それに、祖母に育ててもらった恩もありました。
あとになって知ったのですが、伯父はこのお寺の収入を私たちの家庭に給料として入れ、家の修繕もしてくれていました。そこまでしてもらったら、継がないという選択はないですよね。ある意味、うまく洗脳されたのかもしれません(笑)
この伯父が、のちの私の師匠となりました。

「一休さん」と笑われた修行時代

修行は13歳から始まりました。夏休みや冬休みを返上して、毎年1〜2週間、本山で単位を取るような形で進めていく。それ以外は普通の生活を送っていました。それを10年間続けて、23歳でこのお寺を継げるようになるのです。
修行そのものは、楽しかった記憶しかありません。同い年くらいの子たちが数多く来ていましたから。つらかったのは正座で足が痛かったことくらいですね。ちなみに、今は2時間正座しても平気です。
学校では、お坊さんになることはずっと隠し続けていました。中学の頃からお寺の行事をしているところを友達に見られたり、修行で髪を全部剃っていたりして、「一休さんや」と笑われる。だから高校まで、お坊さんになることは誰にも言いませんでした。自分を偽らずに話せるようになったのは、仏教系の大学に入ってからです。周りがみんな同じでしたから。

うまくいったときほど、ボーンと落ちる

構想から10年。本堂の内陣に優しく、美しく描かれた2体の「迦陵頻伽(ガリョウビンガ)」

掲示板のことばは、毎日1枚を目標に書いて、SNSに投稿しています。 人と話しているときも、いいことばがあれば書き留めています。続けているうちに、どういうことばが評価されるのかが少しずつわかってきました。嫉妬や悪口めいたことばを入れると、正直、SNSの反応はいいです。でも、そればかりでは「炎上系住職」になってしまうので控えています。

自分への戒めになることばも、掲示板に書くようにしています。というのも、私はうまいこといったときほど、ボーンと落ちることが多いからです。調子のいいときほど気をつける。何でも勉強せなあかん。そういう気持ちを持ち続けています。

「お前ぐらいや」と言われても

私は「こんなことをしているのはお前ぐらいや」と言われるようなことをやってきました。たとえば、お賽銭はPayPay などのキャッシュレス決済でできるようにしました。同じ宗派は400カ寺ほどありますが、うちくらいでしょう。まだ小銭のほうが多いですが、外国の方は現金を使わないので時代に合わせて対応していく必要がありますよね。お賽銭と言えば、「賽銭泥棒」はけっこう昼間も夕方も夜中もありますね。実際に追いかけまわしたこともありますよ(笑)
ほかには、カラーのイラスト入り御朱印。オリジナルの絵を一から考え、それに合わせて私が直筆でことばを書いています。
境内で行っている悪縁切りも、時代とともに変わってきました。本来は病気を切るものでしたが、最近は「人間関係を切りたい」という方が多い。切りたい縁を思いながら切って、最後に燃やします。

未来へのチャレンジ

これまで総フォロワー数100万人を目指してきましたが、今は108万人となり、目標を達成することができました。今では本の印税などよりSNSからの収益のほうが大きいくらいです。その収入は、すべてお寺の修繕のために貯めています。というのも、修繕費は1億2000万円ほど、屋根の瓦だけでも4000〜5000万円かかるからです。本堂を修繕して、しっかりと次の世代に渡したい。これが次の目標です。
26代目になるかもしれない息子は、今5歳です。住職は2人もいりませんから、 私が元気なうちは、息子にはどこかに就職したり、違う仕事をしたりと自由にしてほしい。ただ、私が倒れたときなどに、自然と「親父の後を継いであげよう」と思ってもらえるようなお寺であり、自分でありたいと思っています。

今回、杉山大輔さんに取材していただき、自分のこれまでの人生を振り返る良い機会になりました。
正直なところ、私のような普通のお坊さんの話でいいのかなと思いました。そもそも私がお寺を継いだのも、最初から立派な志があったわけではありません。家族が暮らす場所を守りたいという思いが出発点でした。
住職になってからも、決して順風満帆ではありませんでした。人が来ないお寺を何とかしたい。その一心で始めたSNSが、まさか100万人以上の方に見ていただけるようになるとは、当時は想像もしていませんでした。しかも、風邪をひいて猫の写真ばかり投稿したことが転機になるのですから、人生は何が起こるか分かりません(笑)

杉山さんとお話しする中で、成功したことよりも、失敗や遠回りをした経験が今の自分をつくっているのだと改めて感じました。
『私の哲学』と言われると少し大げさですが、私自身、まだまだ未熟な人間です。これからも失敗を繰り返しながら、お寺を守り、仏教の魅力を伝えていきたいと思っています。
今回の取材が、お寺や仏教に興味を持っていただくきっかけになれば嬉しいです。
杉山さん、このたびはありがとうございました。

融通念佛宗 専念寺 25代目住職
籔本 正啓


私は以前から、ネコ坊主さんのInstagramをフォローしています。昔から「言葉」が好きで、「なるほど」「その通りだな」と思う投稿に何度も出会い、いつしか読むのが日課になっていました。お寺の前の掲示板に書かれた言葉にも、以前から「いいなあ」と思うことがよくありました。
「この言葉を書いている籔本さんは、どんな方なのだろう」。調べてみると、幼くしてお父様を亡くし、周囲の方々に支えられて今があることを知りました。そこで、いつもの「会ってみたいレーダー」が発動。Instagramのダイレクトメッセージでご連絡すると快諾してくださり、大阪へ日帰りでGO!となりました。
私の4人の子どもたちは、全員、仏教系の幼稚園を卒園しています。私自身も仏教を学ぶ機会があり、その考え方はとてもしっくりきます。日々の暮らしや人との関わりに重ねながら考えられることも、仏教の言葉にひかれる理由なのだと思います。

お寺の将来に危機感を抱いたときも、ご自身でSNSを学び、猫と直筆の言葉を組み合わせ、試行錯誤を続けてこられました。伝統を受け継ぐために、時代に合わせて工夫し、自ら動く。そして、うまくいっているときほど気をつけ、学び続ける。この姿勢は、お寺の運営に限らず、私たちの仕事にも通じるものです。
気になったら調べる。会ってみたいと思ったら、声をかけてみる。今回も、その一歩が新しいご縁につながりました。SNSで言葉を読むだけでは知ることのできなかった背景を、直接伺える。それが『私の哲学』の取材の面白さでもあります。
籔本さんとは、ハートの絵馬でツーショットも撮らせていただきました(笑)
言葉をきっかけに生まれた今回のご縁に、感謝です。

『私の哲学』編集長 杉山 大輔


2026年9月
寺院・専念寺にて
取材・編集:杉山 大輔
プロジェクトマネジャー:安藤 千穂
文:柴田 恵理(『私の哲学』副編集長)
写真:Shinya Yamanaka
制作:『私の哲学®』編集部

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