
1851年から続く、世界最高峰のヨットレース「アメリカズカップ」に、「ニッポンチャレンジアメリカ杯」を組織して3度挑戦した、山崎達光氏。氏に海への思い、挑戦する気持ちについてお話しいただきました。
Profile
第89回 山崎 達光(やまざき たつみつ)
公益財団法人日本セーリング連盟名誉会長 | 元エスビー食品株式会社会長
1934年東京都生まれ。早稲田大学卒業。在学中はヨット部に在籍。大学卒業後、エスビー食品株式会社に入社。1983年〜89年代表取締役社長、1989年〜2003年会長を歴任。また、ヨット「サンバード」号のオーナーとして外洋帆走レースで活躍。1974〜1994年、日本外洋帆走協会理事。ニッポンチャレンジを組織して、1992年、1995年、2000年世界最古のヨットレース「アメリカズカップ」に挑戦。3度の挑戦ともベスト4を獲得。2001〜2011年、日本セーリング連盟の会長を務める。現在は名誉会長。著書に『海が燃えた日』(舵社)。
山崎達光さんにおかれましては、令和2年12月6日、86歳にて永眠されました。 この記事を通して、海を愛し、世界と戦った山崎さんのチャレンジ精神を伝えることができたご縁に感謝しています。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 「私の哲学」編集長 杉山 大輔
沸き起こった挑戦への気持ち

海への思い

正正堂堂

名誉のためだけに

挑戦の気持ちは続く

アメリカズカップとは
1851年(嘉永4年)、第1回ロンドン万国博覧会の記念として行われたヨットレースに参加した「アメリカ号」が、海洋国イギリスの快速艇を下して勝利し、100ギニーのトロフィーを持ち帰ったのがはじまり。以来140年弱、世界のヨットマンが国の威信をかけてカップを争う、世界最高峰のヨットレースとなった。注釈
- *1)12メートル級=1958年大会から1987年大会まで採用されていたヨットのルール。寸法が12メートルではない(実際の水長線は約23メートル)。
- *2)上り=ヨットは、風上に向けての帆走(上り)と、風下に向けての帆走(下り)を繰り返す。上りのスピードは、ヨットの設計性能によって決まると言われている。
- *3)JPN-30=1992年大会から2007年大会まで採用されていた国際アメリカズカップ級に付けられていたセールナンバー。アルファベットは国籍を、数字は通し番号を表す。
- *4)名誉のためだけに=アメリカズカップへの挑戦には莫大な資金がかかるが、勝ってもトロフィーがもらえるだけで、賞金や賞品は一切もらえない。但し、勝った国が、次回自国での開催権を獲得する。
- *5)2017年大会に、日本から17年ぶりの挑戦となる「ソフトバンク・チームジャパン」が参戦。ニッポンチャレンジと同じくセミファイナルで敗退、4位となった。
日本セーリング連盟名誉会長 山崎 達光
「海は広いな、大きいな〜♪」の歌のように、世界に繋がっている海が僕は好きです。以前、ある先輩に「大輔、船はいいぞ!」と薦められ、1級小型船舶操縦士を取得してからさらに海が好きになり、2016年に福岡で行われたルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズを観戦しに行きました。山崎達光さんは、そのアメリカズカップに最初に挑戦した日本人であり、日本のヨット関係者なら誰もが知っている方です。 クレイジーなほどのチャレンジ精神がないと、世界最高峰のヨットレースに挑むことはできなかったのだと、ご著書やインタビューを通して感じました。ヨットレースに休憩はなく、「ちょっと待って」とレースを止めることもできません。その過酷なレースに3度挑戦し、3度ともセミファイナルに残った記録は、素晴らしいのひと言です。 今でもチャレンジ姿勢を持ち続けていらっしゃること知り、チャレンジに年齢は関係ないと改めて思いました。この記事は、山崎さんのお誕生日である11月30日にアップしました。山崎さん、84歳のお誕生日おめでとうございます!
2018年10月 三浦半島 リビエラシーボニアマリーナにて ライター:楠田尚美 撮影:稲垣茜