インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第110回 佐藤 弘治氏

18歳で板前修業に入った佐藤 弘治。きっかけは、当時人気を博したテレビドラマ「前略おふくろ様」(日本テレビ系)だったという。そこから17年を経て、シャイな板前に憧れた青年は赤坂で故郷の食材と味にこだわる割烹を開く。

Profile

110回 佐藤 弘治(さとうこうじ)

山形割烹 赤坂あじさい店主
1960年、山形県大石田町生まれ。魚屋の次男として生まれ、日大山形高校を卒業後に上京。赤坂、築地の有名料理店で修業を積み、1995年34歳のとき、赤坂に山形の食材と味にこだわる「山形割烹 赤坂あじさい」を開店。
味にうるさい人が通う店として名を馳せる一方、懐かしくも洗練された味を武器におせち料理や鍋物の通信販売のほか、「ふるさと納税・ふるさと特産品」に商品を提供するなど、ビジネス面でも幅広く展開している。

「修業するなら東京」と。伝手を頼って割烹へ

私は山形県大石田町の魚屋の次男です。その影響もあり、高校を出るころには、板前になろうと自然に決めていました。
当時、萩原健一さん扮する板前が主人公の「前略おふくろ様」というテレビドラマが人気で、私も中学から高校まで見ていまして、シャイな主人公に感化されてしまったということもありますね。
「修業するなら東京しかないべ」と思っていましたが、紹介がなければ有名店には入れない時代です。そこで、赤坂にあった寿司割烹赤坂穂寿美で働いていた同年の友人に紹介してもらいました。彼は中学を卒業するとすぐにこの店で働いていたんです。

赤坂穂寿美は華やかな赤坂のほか、国会議事堂議員食堂にもありました。修業を始めた当初は、お店の軽トラックにしゃりとネタを積んで持っていくのが私の仕事でした。 この店の取引先の築地魚河岸の魚屋さんにとてもかわいがっていただき、ご自宅に招待されたときに今の妻と出会い、結婚することになりました(笑)。 赤坂穂寿美にお世話になったのは6年ほどで、義父の紹介で築地料亭河庄双園に移りました。こちらの店は懐石料理屋で、冬はふぐ料理がメイン。客単価が3万から4万円ほどの高級料亭でした。食材はいいものを使っていますし、お客さまはいわゆるVIPですからとても勉強になりましたね。 板前の修業は、1.追いまわし(したごしらえ)、2.八寸場(前菜)、3.焼き場、4.揚げ物、5.板場、6.煮方(煮物等)となります。築地料亭河庄双園には板前が20人ほどいました。ここで板前のベースを学びましたね。

大輪のあじさいに力を出し合い、支え合う姿を見る

もともと自分の店を持ちたいとは思っていましたが、本気で考え始めたのは結婚した32歳あたりからです。 1995年、34歳のときに独立して、赤坂あじさいを開店しました。山形割烹がなぜ「あじさい」なのかって、思いますよね。修業時代にたまたま買って育てていた観賞用のあじさいの青紫がキラキラ光っていて、とても奇麗だったことがずっと印象に残っていて、店を出すときには「あじさい」にしたいと思っていたんです。
あじさいは大輪の花なのに枯れても散りません。それが、みんなの力で店を支えている、協力している感じに私には見えます。今も、自宅の庭に植えていますよ。

最初の店は16坪、20席の小さな構えでした。バブルが崩壊した後でしたから、3人のアルバイトに給料を払えないくらい経営は大変でしたね。そういえば、この年は1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が起こるという激動の年でした。
ただ、1年半も過ぎたころにはとても忙しくなりました。山形県出身の方が、お国自慢をするようにお知り合いを連れてきてくださり、リピーターのお客さまが増えていったのです。そこで、広い店舗を探して今の場所に移りました。
毎日お客さまとの出会いが楽しかったですね。お客さまがあって、今があるんだと感じます。

素材は惜しまない。印象に残る料理を提供

うちの店は山形割烹と名乗っている通り、山形の郷土料理の味に少し変化をつけてご提供しています。
山形名物の芋煮ってご存知ですか。あれは季節のいろいろな具材が入るからおいしいんです。具材を多くすることで濃厚なうま味が出ます。だから、素材はふんだんに使います。惜しみなく使い、山形の醤油を入れて完成です。
他の料理にも山形の醤油や味噌、塩こうじ、酒粕をよく使いますね。

もうひとつ私がこだわっているのが、料理のインパクトです。普通の懐石料理で煮物といえば、小さな器にきれいに盛りつけられますね。私も関西割烹で修業していたので、最初はそんな感じで出していたんですよ。でも、それでは枠が広すぎて特徴がない。お客さまが山形料理に絞って、盛り付けもインパクトがあるほうがいいと教えてくださったんです。インパクトを出さないと記憶に残らないってね。

特大鯖 六歌仙酒粕風味焼き(ランチ)
舟形マッシュルームコース(ディナー)

赤坂あじさいでは、お節料理も提供しています。店を始めてから3年ほど経った頃、当時の伊勢丹の社長が来店されたのがきっかけで、伊勢丹に商品を取り扱っていただくようになりました。これが私たちのお節料理の始まりです。もう25年ほど続いていますね。
最初は20台限定で出しましたが、自分でも営業するようになり、東京のすべての百貨店や郵便局でも販売していました。今では山形県大石田町のふるさと納税の返礼品にもなっていて、故郷にはお世話になっています。

お節料理は40から50種類もあって、重箱の寸法に合わせてすべての食材のサイズを測ってつくるのですから料理人にとっては技の集大成です。山形の食材は必ず入れるようにしています。

お昼のお客さまが夜につながる。利益よりお客さまへの感謝

夜の献立には、故郷の山菜、山形牛、鳥海山の伏流水が育てる岩がき、のどぐろ、寒鱈などさまざまな魚が登場します。
お昼もお魚定食が充実しており、お客さまには満足していただいています。メニューをご紹介しますと、サバの塩焼きは山形の酒粕に漬けたもの。鮭は塩焼きと照焼きの二種類。オーブンではなくて炭火焼です。このほうがうま味が逃げずに焼けますからね。醤油は山形のもの。深いコクに特長があります。
先ほどインパクトと申しましたが、定食の魚の切り身は170グラムあります。一般的には120グラムですから、かなりのボリュームがあります。特大アジフライは木曜日と金曜日の限定。名物さば味噌定食はボリュームはもちろん身がしっとり柔らかくて美味しいと評判になり、新聞に紹介されたことがあります。小さい魚より大きいほうが脂がのっていて美味しいんです。
定食にはご飯、みそ汁、小鉢が2つにサラダもつけています。もちろん、米と味噌は山形産ですよ。
お手頃な値段にしていますから利益は少ないのですが、お昼に来てくださった方は、夜も来てくださるようになります。予約を入れて帰る方もいるほどです。
何よりも、お客様からのご紹介は私たちにとっての栄誉であり、この上ない喜びです。この場を借りて、お客様への深い感謝の気持ちを表します。一期一会の精神で、これからも皆様を心からお待ちしております。

今回、エネルギッシュな杉山さんとお話ししていく中で、仕事に対する夢や理想、決断が独立した当初よりも鈍くなっていることを感じさせられました。恥ずかしい話ですが、入り口から店内、客席までのアプローチに自分自身の個性や感性が伝えられていないことにも気付かされました。
私の好きな言葉に「一期一会」があります。料理もまさに一期一会の精神。お客様からチャンスを頂き全力で料理にて表現をし、どれだけインパクトを残せるか。杉山さんは、常に上だけを見て挑戦していた1995年独立当時の熱い思いを思い出させてくださいました。
この歳になって、自分の闘志を引き出してくれた杉山さんとの出会いに感謝しています。これからもよろしくお願いします!

山形割烹 赤坂あじさい店主
佐藤弘治


今回のインタビューで、山形割烹 赤坂あじさいの佐藤弘治さんとお話しする機会を得ました。佐藤さんの料理に対する深い愛情と哲学に触れ、彼の話からは、故郷山形の素材と味を大切にしながらも、常に新しい挑戦を続ける姿勢が伝わってきました。「前略おふくろ様」に感化され、板前を志した若き日の情熱は、今も変わらず佐藤さんの中に息づいています。
特に印象的だったのは、「心で語る料理」の哲学です。佐藤さんは、素材を惜しまず使い、料理にインパクトを持たせることで、お客様に忘れられない体験を提供することを大切にしています。その姿勢が、彼の店を多くの人々から愛される場所にしています。
彼の感謝の念とともに、赤坂あじさいがこれからも多くの人々に心温まる料理を提供し続けることを確信しています。このインタビューを通して、私自身も料理に対する情熱と共感の力を再認識することができました。
さらに今後、私は佐藤弘治さんと、日本に来日する観光客を対象にしたグローバル対応のお店の準備や、海外に日本食材を提案する料理開発にも取り組んでいく予定です。これからの新たな挑戦にわくわくしています。
山形割烹 赤坂あじさいの発展を心から願っています。

『私の哲学』編集長 杉山大輔



<アクセス・店舗情報>
東京都港区赤坂3丁目15-4 ネピロードビルB1F
<最寄駅>
丸ノ内線「赤坂見附駅」より徒歩5分
銀座線「溜池山王駅」より徒歩6分
千代田線「赤坂駅」より徒歩2分

山形割烹 赤坂あじさいにて 編集:杉山大輔 撮影:荒金篤史