インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第101回 山本 康二 氏

本気で世の中を変えたい。学歴偏重や年功序列もない社会を作りたい。リスクを負いつつ挑戦を続け、数々の法人向け事業で国内トップを達成。「これからはグローバルで戦える日本企業を作りたい」と語る、山本康二氏。自らの経験を振り返りながら、自身の原動力にもなった熱い使命感について語っていただきました。

Profile

101回 山本 康二(やまもと こうじ)

グローバルパートナーズ株式会社 代表取締役社長
1971年埼玉生まれ。1995年東京国際大学商学部卒業後、光通信に入社。インターネットメディア事業、パートナーシップ事業、業種特化事業など、数々の法人向け事業で国内トップシェアを獲得し、28歳にして光通信取締役に就任。光通信の常務取締役として1万人の組織を構築。その後ソフトバンクとの合弁会社アリババマーケティングを創業。同社を2014年にグローバルパートナーズに商号変更しオーナーとなる。ドバイやセブでのグローバルビジネス、YouTubeCM制作やAmazonPOD出版事業、グローバル人材紹介、オンライン大学校GPUの運営等を通じて日本経済の再成長を描く。

<数々の日本一を獲得>
東証最年少上場|東証最短上場|株価上昇率|株価暴落率|ブラック企業ランキング|営業マン採用数|営業マン離職数|市外電話サービス獲得数|国際電話サービス獲得数|第三分野保険獲得数|携帯電話販売数|法人向け携帯電話販売数|ISDN獲得数|ADSL獲得数|光回線獲得数|プロバイダー獲得数|独自ドメイン獲得数|レンタルサーバー獲得数|ビジネスホン販売数|コピー機販売数|CS放送獲得数|法人向け販売網規|海外進出支援数|YouTubeCM制作数|AmazonPOD出版プロデュース数|ホームページ制作数等

本気で世の中を変えたい

高校生の頃から両親や先生の言うことを疑い、学歴偏重や年功序列に抵抗していました。勉強が好きな友達も嫌いな友達どちらも大切だったので、学歴で全てを決められるのが嫌で、答案用紙を白紙で出してボイコットしたこともありました。

それでも、中学生までは生徒会長を務め、オール5を取る優等生。予習も復習もせず、その場で先生に質問して覚えていました。テストは15分で終わらせ、途中で席を立っても100点を取るような子どもでしたね。他人とは違う勉強方法だったと思います。例えば、歴史の勉強なら、まず教科書の目次で時代の流れ全体を見て、最後に年号を覚えます。そして、応仁の乱はなぜ起きたか、自分ならどうするかを考え、ストーリーをつくって感情移入して学んでいました。

大学ではメディアや統計学、マーケティングを学び、これからは「知る欲求」や「発信する欲求」が増え、IT技術が必要になる時代がくると思うようになりました。

既存の社会への抵抗感と、IT技術への興味が原動力となり、株式会社光通信でのキャリアをスタートさせました。学歴は関係のない会社を作り、序列を壊したかったのです。朝礼や会議では、「物を売り、営業をする。携帯電話やインターネットを普及させるには偏差値は関係ない。お客様のことを考えて行動すれば、勝てる」と話していました。才能があったわけでも、魔法が使えたわけでもありません。1万人の部隊を作り、組織のトップになったのは、「本気で世の中を変えたい」という目的意識があったからです。

日本の企業のIT化を、自分たちがやらなくて誰がやる

ITで世の中を変えようと、中小企業100万社のシステムを整えました。最初は飛び込み営業で断られ続け、何度も通っても全く売れないので、初期費用を負担して通信端末をプレゼントしていました。なので、経営陣が20代だったときの会社の借り入れ額は、70億円まで積み上がりました。そこまでできたのは、使命感があったから。何歳でもいつでもチャンスがつかめる時代を作りたかったし、インターネットの時代に遅れてはいけないと感じていて、常に日本を空から見て、在るべき姿に変えたいと思っていました。結果として、企業のシステムを整え、日本中の企業に携帯電話やインターネットを普及させることができました。

こうして、500億、1,000億と売り上げを伸ばし、東京証券取引市場に最年少・最短記録で上場できました。日本の中小企業のIT化を、自分たちがやらないで誰がやる。何があってもやりきろうという堅い決意のもと、人生の全てを賭けた20代でした。

お客様のことを考えて、ギブすること

営業マンらしくない人のほうが、優秀だと思います。お客様が食べたくないものを、味を変え、食べ方を変え、食べさせることが営業力。お客様の言うことを聞かずにプッシュする営業は中流ではないでしょうか。やはり、相手のことを考え、ギブすることが大事です。営業は、お客様ファースト。自分がこれなら買うという、商品・サービス・伝え方を追求することだと思います。嘘をつく営業は、私はできません。

上場後は、一番上のポジションにいたこともあり、20代から個人資産が100億円を超える瞬間もありましたし、逆にすっからかんになったこともありました。なぜかというと、日本の市場全体を上げるため、2,000億円以上の借金をして、業界全体に投資をしていたからです。情報通信産業、IT産業のベンチャーは大きくなると信じていたので、自分たちより若い企業数百社に出資をしていました。市場のベンチャー投資事業への評価はバブルだと指摘されましたが、結果として5年以内に何割かの企業は上場し、投資資金は回収できました。今思えば大きなリスクを取っていましたが、元々何もない20代が集まっていたから、怖くはなかったんです。営業活動においては、設備投資も自社ブランドもない。中小企業に新しいサービスを売って稼ぐというシンプルなビジネスモデルで、仮に失敗しても仲間さえいれば再生できるため、怖いものはありませんでした。

目の前で扱うお金はリアルですが、持っている自社株の評価額は億単位で大きく乱高下します。そうなると、個人のお金はどうでも良くなってしまいます。頑張ればいつか入ってくるし、失っても生きていける。個人資産がゼロのときも100億円のときも、頭上には同じ空があって、牛丼はおいしい。笑っても、泣いても、何も変わりません。どんな人でも生涯数億円は稼ぐから、資産変動は誤差だと思っていましたね。本当に大事なのは、会社や自分の実態価値を高め続けることだけと信じておりました。

リスクを負って経営に参画する

私は、言っていることとやっていることに矛盾があると嫌なのです。20代から取締役をしていましたが、他の人から、「サラリーマンだからリスクを取っていないでしょう」と言われることが嫌でした。だから、20代から自社株に出資をし、30歳前後は経営に参画するために、10億円の借金をして光通信の株を購入。世間から一番きらびやかに見えていたときも、実は取り立てが来ていました。

クビになったことも2度ありました。売り上げ100の事業を500にすると約束し、結果が400だと未達成で解任です。もちろん達成しても、組織内で不祥事があれば解任されます。取締役の解任や辞任は、降格ではなくクビ。取締役をクビになっても知らぬ顔で出勤し、マネージャーという肩書でどこかの部署に潜り込んで再度取締役を目指しました。2度取締役をクビになり、社員として再入社して3度取締役になった人は、他では聞いたことがないですね(笑)。
実力主義を徹底していたので、部下に厳しい昇降格人事をしていた自分達だけは重役の席に居座るのはずるいですよね。やっぱり矛盾は嫌です。

1兆円を達成するためにアリババへ

人生に大きな影響を与えたのが、光通信を創立した重田康光氏です。私は新卒入社後4年で先輩を飛び越えて全社に数名しかいない取締役になりましたが、彼は私の名前をちゃんと覚えません。興味があるのはいくら使って、いくら稼いだかの数字だけでした。世の中にはいろいろな有名経営者がいますが、彼が最もすごいと思います。彼と出会わなかったら今の私はいませんし、ロマンや美学を持って何かを命懸けでやることはなかったです。

2009年に日本でアリババの代理店事業に関わったのも、重田氏の影響です。売り上げ3,000億円を達成したとき、「早く1兆円やれよ」と言われました。大きな壁を乗り越えたから、ようやく認められるかなと思っていましたが、違いました。国内で1兆円は天文学的だと思い、業態の変更も検討しましたが、私の強みはやはり営業力です。海外に営業展開するしかないと考えていたときに、まだ無名だったアリババの存在を知り、1年半くらいソフトバンクの企画会議に潜り込み、アリババの代理店事業を開始しました。実は当社の創業時の社名は「アリ マーケティング」で「ババ」はもらえていませんでした。中国本社非公認くらいのトライアルでスタートし、瞬く間に実績を出して「ババ」を後からもらいました(笑)。
後にアリババが超有名企業になり、時価総額もトヨタの4倍ほどまで一気に駆け上がった時期が来て、いろいろな人や場所に呼んでいただきました。重田氏に褒められていたら、見えなかった景色でしょう。バカだから大きな夢を描いた。現実的に厳しい日々も、信じて進んだから仲間ができて、偉業を達成できたと思っています。

ドバイでの経験で大きな使命感に気づく

グローバルにアクセスできる、オンライン展示会のアリババドットコムには多くの企業が加入しましたが、日本企業が海外輸出をスタートさせることは簡単ではないと思い知らされました。徐々に輸出額を伸ばしている企業には人材が揃っていて、自ら海外の市場に赴き、失敗しつつもPDCAを回しながら道を作っていく共通点が見られました。そこで、「みなさんも海外に通じるビジネススキルを身に付けましょう」と提案したのですが、自分自身が英語で海外でのセールス経験がない矛盾に気づきました。

そこで、全ての職を捨ててドバイに行きました。リュックにサンプルやカタログを入れて飛び込み営業をし、次に300坪のショールームを作って、ほとんどの産業のプロダクトを自分達で各国のありとあらゆるバイヤーに売り込みました。この5年間は大赤字です。

1兆円達成して重田氏に評価されたいという目標は、いつの間にか顧客成功のため、日本成功のためという使命感に変わっていました。自分の子や孫の世代を考えたとき、父親として子どもと毎日一緒にいることより、子どもたちが生きていく日本や世界のステージを良くすることが重要だと思いました。

企業は人なり。日本企業のグローバル化を目指す

ドバイでは500社の市場調査をし、一つ一つのプロダクトに対して売れるプランを考えました。しかし、99%の日本企業は、「プランを実行する社内体制がない」とせっかく作ったプランをスタートさせてくれませんでした。 「企業は人なり」という言葉がありますが、当時の日本企業はグローバルビジネスを動かす社内体制、すなわち「グローバル人材」が不足していました。海外では、日本製品をそのまま日本と同じビジネスモデルで流通させることはできるはずがなく、様々なローカライズやPDCAサイクルを回していかなければいけません。
そのためには、本社も製造も営業も、ありとあらゆる部署や役職に、海外市場を理解し、時には現地に赴き英語でビジネスができる人材がいなければ無理なのです。

そこで、日本企業がグローバル展開を成功させるために、日本企業の組織のグローバル化を目指し、教育・人材事業をやると決めました。アリババからドバイまで通算10年間、株主や自分のお金を投じて勉強してようやく、「日本を変えるのは人だ」と気付けました。

企業同士のマッチングプレイスでセールスをすることよりも、企業が自走でき、グローバルマーケットで勝てる企業になってもらいたい。企業は人です。これからは、日本企業の人事システムをひっくり返す必要があると思っています。日本中の社長を説得してあと30年かけてグローバルに勝てる企業を育てていきます。

私は日本という国、中小企業、若者の成長と変化に関与することが一番の喜びです。だから、社員が学園ドラマみたいな日々を送って、泣き笑いしながら成長するのを見るとめちゃくちゃ嬉しい。損得ではありません。各社の優秀なセールスマネジャーを集めて流行っている商品を売れば楽はできるし、もっと利益は上がると思います。でも、つまらないですよ。ラグビーやサッカー、野球マンガのように、不良を集めて全国大会を目指すようなストーリーが好きなのです。

同時に大量のアイデアが溢れてくる人。一石二鳥ではなく、一石三鳥、いや三石十鳥を考え、常に動いている人。デュアルコアCPUを持つDKスギヤマさんにビジネスの相談をすると、こんな提案が来る。桃から生まれた一寸法師に、まさかり担いで觔斗雲に乗ってダースベイダーを倒しに行かせましょう!
そんなDKにインタビューを受けると、不思議な感覚に包まれる。静かな聞き手に回った彼は、すでに僕のことを全て知っていて、作品の完成形から逆算したような質問をしてくる。忙しく世界中を飛び周りながら、いつこんな念入りな準備をしてきたのだろう。あの日から、会ってなくても彼に見られている感覚になる。彼がどこかで僕を絡めたアイデアを企画している気にもなる。グローバルビジネスプロデューサー、DKスギヤマは今日もどこかで誰かと誰か、何かと何かを繋げているのだろう。

株式会社グローバルパートナーズ
代表取締役社長 山本康二


ドバイ出張に行く前に、先輩から、「DK、ドバイに行くなら、山本康二さんには絶対会っておいた方がいいよ!」とのアドバイスをもらってお目にかかり、大きな組織に勤めたことのない僕にとってたくさんの有意義な発見がありました。
学生時代、「光通信」と言えば、ものすごく「営業ができる会社」という印象を持っていました。その光通信の常務取締役として営業を総括していた山本さんは鬼軍曹なのかと思っていたら全く違い、理論的・組織的な思考で組織を作り上げていた方でした。自分が体験したことをお客様に提供するという、「実学」をベースに経営をされています。名前を書けたら採用する、採用した後に実力があれば残れるし、昇進もできる。とても理にかなっていると思います。まずチャンスを与える。やるか、やらないかは本人次第。
教育事業のGlobal Partners Universityには、この『私の哲学』がきっかけで出演させていただきました。(下記、ご笑覧ください)
これからも、グローバルを視野に国内の気合いの入っている個人・企業をサポートしていきたい! と改めて思ったインタビューでした。

『私の哲学』編集長 DKスギヤマ

2022年11月 グローバルパートナーズ株式会社本社にて

編集:DKスギヤマ  撮影:宮澤正明