インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第102回 山口 さゆり 氏

今年、創業47年になる、銀座の老舗高級クラブ「グレ」を29歳で引き継いだ、二代目オーナーママの山口さゆり氏。水商売の世界に入ったきっかけ、経営者としての苦難などを伺いました。

Profile

102回 山口 さゆり(やまぐち さゆり)

銀座「クラブ グレ」オーナーママ
1977年、埼玉県生まれ。武蔵野女子大学短期大学部在学中に銀座のクラブで働き始め、半年でナンバーワンになる。29歳のとき、政財界の要人や芸能人が多く訪れる、伝説的なクラブ「グレ」を引き継ぎ、二代目オーナーママに。

銀座「クラブ グレ」
ひとたび足を踏み入れたら、そこは大都会にある桃源郷
一流のお客様が集う都会のオアシス“グレ”OPENから47年の時を経て、これまでの数々のお客様を魅了し、魅了され、共に歩んで参りました。最高級のおもてなしをもってお客様の心に、「安らぎ」と「癒し」を注ぎます。今宵も“グレ”にて至福のひとときをお過ごし下さい。

1日10本で3万円

19歳で水商売の世界に入り、もう26年になります。きっかけはスカウトでした。友だちと遊びに行った渋谷109で女性のスカウトマンに、「週2日でいいからアルバイトしませんか」と声をかけられました。友だちが綺麗な子だったので、本当は彼女のことをスカウトしたかったんだと思いますが、「怖いから一緒に働こうよ」と誘われて私も行くことに。
お金に困っていたわけではありません。東京電力に勤める父と母、兄の4人家族という家庭に育ちました。父の同僚がよく家に遊びに来ていたこともあって、小さいときから大人になったら会社員になる、東京電力に入るものと思っていました。
また、私が14歳の頃、兄が家に引きこもってしまうようになり、自分は一生兄の面倒を見ていくんだと決めていました。銀座でのアルバイト料は1日3万円。これならずっと兄を養っていけると思いました。

そこは「ピロポ」という、今でもある高級クラブでした。「このライターは300円するんだからね。無くしちゃ駄目よ」と渡されて、「分かりました」と言って席に着いた初日のこと、今でも覚えています。
ピロポは指名制で、指名を1本受けると3,000円もらえました。1日10本受けたら、それだけで3万円稼げるのが楽しくなってしまって、通っていた短期大学の単位を落とすのも構わず、指名本数を取ることに夢中になりました。稼いだ指名料とアルバイト料は、給料日にまとめて現金でもらいます。毎日同伴があったので、使う暇もないくらい忙しかったですが、19歳でひと月に100万円もの現金を手にするのですから、やはり少し金銭感覚はおかしくなっていたと思います。

十字架を背負う

兄のことは、これまで誰にも話したことがありません。引きこもりの原因は、学校でのいじめです。その後、対人恐怖症と診断されました。
家では、少しでも家族が明るく過ごせるように、努めて明るく振る舞っていました。今の陽気な性格は、そのおかげかもしれませんね。
もし、私が妹ではなく姉だったら救えたかもしれないと、今でも考えることがあります。とにかく、私が兄を一生養わなくちゃいけない、稼ぎのいい銀座での仕事だったらできるかもしれないと思いました。
そんな十字架を背負ってきたので、どんなに嫌なことがあっても水商売から離れることはしませんでした。銀座には私と同じように家族の面倒を見なければならなかったり、シングルマザーだったり、いろいろな十字架を背負った女性がいます。銀座を離れずに長く働いている女性は、そうした事情を抱えた人が多いです。

一緒にスカウトされた友だちは、1年ほどしてお店のお客様と結婚してしまいましたが、私はすっかりこの仕事が楽しくなって、週2日どころか週5日の出勤。毎日帰宅の遅い私が銀座で働いていると知って、父は猛烈に反対しましたが、いつの頃からか応援してくれています。

創業者、名物久美子ママ

グレを創業したのは、光安久美子ママです。彼女もピロポ出身で、私が銀座で働き始めた当時すでに名物ママとして有名で、同じ銀座で働く者として久美子ママにどうしても会いたいと思っていました。あるとき、同業者が何百人も集まるパーティーがあり、これはチャンスと主催のモエ・エ・シャンドンの方に同じテーブルになるように頼んで、隣の席にしてもらいました。
久美子ママのところには、グレ出身の独立したママたちが次から次と挨拶に来て、私はその様子をただ座って見ているだけ。折角の機会だったのに名刺を渡すのが精一杯で、緊張し過ぎて何も話せませんでした。

それから、「いつか久美子ママにスカウトされたい」と思うようになり、グレに行っているというお客様に会う度にお願いして連れて行ってもらいました。なかなか私のことを覚えてもらえなかったんですが、7回目くらいでやっと名前を言ってもらえたときは嬉しかったです。
そうしてしばらくしたある日、久美子ママに、「呉服屋さんに聞いたんだけど、すごく売り上げてるんだって? 頑張ってるんだね。ちょっと時間つくって」と声をかけられました。当時、1か月3,000万円以上売り上げていたんです。あとで聞いたところ、久美子ママはその呉服屋さんに頼んで、お店を安心して譲れる人を探してもらっていたそうです。
何回目かの食事のとき、「跡継ぎを探してるの。継がせたいから、うちに入らない?」と誘っていただき、まずはママが引退するまでの3年間はチーママという条件で入りました。

チーママから大ママになり、丸3年経っても継ぐ話が出てこなくて、このままずるずると雇われママをやるのかな、でもこのお店で経験できたのは素晴らしいこと、などと思い始めた頃、「ちゃんと譲るって言ったじゃない」と株を100%買い取って、正式にオーナーママにしていただきました。久美子ママは、「分割でいいから」と言ってくれましたが、分割は嫌いなので、その日に5億円支払いました。 スポンサーはいません。全て雇われママ時代に、家賃節約のために実家暮らしをして貯めたお金で買いました。

久美子ママは、今も顧問として勤めている美砂子さんにも前日に電話で伝えたくらい、お客様にも誰にも言わず、ある日のミーティングで突然引退することを発表しました。たぶん、波乱が起きるのを防ぐため、私を思ってそうされたのだと思います。それから1年間、顧問として残ってときどきお店に顔を出したりして、サポートしてくれました。

私がお店を引き継いでから、「応援するよ」とお店にそのまま来てくれたお客様も、来なくなってしまった方もいますが逆に二代目、三代目の方々は苦労を分かってくださり応援も増えていきました。これが世代交代ということなのだと思います。

乗っ取り事件

お恥ずかしい話ですが、2020年に、経理を担当していた女性役員の裏切り行為によってお店を乗っ取られてしまう事件が起きました。
その4年前、税金対策で会社の株主や代表の名義を、その役員に変更したんです。もちろん、名義変更しても私が実質的な株主、代表であるとの合意書を交わしました。そして、2020年4月、緊急事態宣言中のことです。
コロナ関連の助成金や融資の申請をするにあたり、代表の連帯保証が必要なものもあったため、それを彼女にお願いするのは申し訳なく、代表の名義を私に戻すよう伝えました。ところが弁護士を通じて、「私を辞めさせるなら退職金2,500万円を支払え」と言ってきたんです。

彼女に辞めてもらう気など全くなく、かと言って2,500万円を払うわけにもいきません。6月の営業再開を目指していましたが、5月半ば、彼女は代表の立場を利用してお店の鍵を替え、通帳や印鑑も持って行ってしまい、先代の時代からの役員も独断で解任してしまいました。
給料はきちんと払っていましたし、まさかこんな風に裏切られるとは思ってもいなかったので、ただただ驚き、戸惑うばかりでした。でも、脇が甘く、騙されてしまった自分が悪い。誰のことも恨んでいません。このことがきっかけで、いろいろな気付きを得られ、成長することができました。ずっと順風満帆で、苦労したことがなかったので。本当の仲間もわかりましたし、人生のターニングポイントになりました。

新たなスタート

仕方なく私は、グレと同じビルに入っているお店でアルバイトをしていました。ある日、弁護士を通じて、「売り上げが悪くて家賃が払えない」と連絡があり、アルバイトしたお金をそのままグレの家賃として渡しました。情けない話ですね。でも、家賃が払えずにビルから出て行く事態はどうしても避けたかった。何としてもグレを守りたかったんです。
その後、無事解決に至り、2021年3月22日から私がオーナーママとしてお店を再開することができました。ちょうど、お店の45周年の日に春の訪れと共にやって来た、この上ない喜びです。

銀座で働くようになってから、「クラブは安心感のある場所にしなくてはいけない」と教えられてきました。クラブは、お客様に安心して寛いでいただくところ。その場所がお家騒動のような内輪もめや、裁判沙汰を起こしてはいけません。事件が週刊誌にも載ってしまったことは恥ずべきことで、「また一からやり直し」と気持ちを引き締め直し、原点に帰って働いています。
多くのお客様が気にかけてくださり、ほとんどの方が再開後もお店に顔を出してくださっています。女の子たちにも、「私がまた経営者になるから、戻ってきてほしい」と一人一人に電話をかけて、8人が戻ってきてくれました。

伝統と伝承

私は銀座の女性として、いつもお客様に「嫌われない」ことを意識してきました。それは、仲良くなる前のお客様に対して、いきなりわがままを言ったり、出しゃばったりしないということです。この先もずっとこのお店を続けて、お客様と長く付き合っていきたい。だから、シャンパンを入れてくれとか、もう1本ボトルを入れて欲しいなど、もうこの店には来たくないと思われてしまうようなことを言ったり、したりしないようにしています。
これは、先代に教わったことです。たとえ1杯だけ飲んで帰るお客様でも、来てもらえればそれでいいんだと。

29歳でお店を継いでから、伝説的なクラブを守ろうと必死でした。でも、4、5年経って、「久美子ママの真似をしていても駄目だ。もっと自分を出していかないと」と考えるようになりました。久美子ママにはママの個性があって、その時代だからできたこともあったでしょう。「伝統と伝承」ですね。銀座にキャバクラや若いお客様が増え、街の様子が変わっていくことは受け入れています。その一方で、老舗のクラブとして守るべきルールは変えずに、きちんと守っていこうと思っています。
先代の久美子ママは58歳で引退されましたが、私はこれからどんなに時代が変わっていっても、長くこの銀座でグレのママを続けていきたいですね。

DKありがとうございました!仕事を通してお知り合いになれて、ずっと憧れていた、『私の哲学』にも出させて頂き感謝しております。
グレのイベントは節分お化けの日などがあり、40年以上仮装イベントをしていて常連さんも沢山来て頂くイベントです。
3年後は、グレ50周年パーティーを銀座ロオジエを貸し切りして行います。いろいろな事がある人生ですが、今まで乗り越えてこられたのはこんな私を支えてくれているお客様、スタッフ、女性達のおかげです。皆様にご恩返し出来るよう、これからも頑張ります。金儲けより人儲けを座右の銘で頑張ります。
DK、またグレてください!ありがとうございました。

銀座「クラブ グレ」オーナーママ
山口さゆり


数年前に大先輩に初めて連れて行ってもらったグレでお会いした、元気爆弾の山口さゆりママ(笑)。以前、別の先輩に、「元気なさすぎ。グレに行こうよ」と誘ってもらい、超絶落ち込んでいた僕は、ママのパワフルな笑顔に救われました。
初代久美子ママからクラブを引き継ぎ、二代目ママとしてのお話を伺い、「伝統と伝承」の重みを感じました。銀座は時代によって変化していますが、日本で一番華やかな場所であることは間違いありません。
さゆりママとのツーショットで僕が抱っこしている猫は、創業からの置物で、もう47歳。これまでのグレの軌跡をずっと見守っている、とてもかわいい猫です。 今回の取材を通してさゆりママの生い立ちなどを聞き、明るさの裏には様々な困難があったことを知りました。やはり、逆境を体験することで人は成長し、優しくなるのだと、自分自身の経験も振り返って痛感しました。

3年後(2026年)の50周年パーティーを楽しみにしています。

『私の哲学』編集長 DKスギヤマ

2022年12月 銀座「クラブ グレ」にて 

編集:DKスギヤマ ライター:楠田尚美 撮影:荒金篤史