Vol. 125  岡田 勢聿

「病院は“人”で変わる」──そう語るのは、岡田メディカルインベストメント株式会社代表の岡田勢聿氏。商社から医療の道へ転じ、現場を知り尽くしたうえで数々の病院再建に携わってきた。制度や資本ではなく、たった一人のキーパーソンを見抜き、その人物と現場に徹底的に向き合い続けることで組織は再生するという。「人に寄り添うとは何か」を問い続けてきた岡田氏がたどり着いた、医療と経営に共通する“本質”とは?

Profile

125回 岡田 勢聿 (おかだ せいいち)

医療法人 勢成会 井口野間病院 オーナー兼副理事長
岡田メディカルインベストメント株式会社 代表取締役

1960年福岡市生まれ。東福岡高校、福岡大学商学部卒業。1983年麻生商事株式会社入社。退職後、川崎医科大学付属リハビリテーション学院に進学し、作業療法士国家試験に合格。白十字会で作業療法部主任を歴任後、1992年に発達障害児施設「知徳学園」を福岡市で開設し園長を務める。その後、介護福祉、健康サービス事業などを経て、2005年に岡田メディカルインベストメント株式会社を設立。病院経営に参画し、現在は井口野間病院副理事長を務める。九州大学大学院医学研究院精神病態医学教室に専門習得生として在籍。

勢成会 井口野間病院
https://inokuchinoma.com/

医療こそ、自分の天職

大学を卒業後、私は麻生商事に入社し、営業職として働いていました。そのままずっと会社員としての道を歩み続けることもできました。実際、世の中から見れば特に不満を言うような環境でも条件でもありませんでした。しかし、心のどこかで、「自分はこのままでいいのか」という思いがありました。
そんなとき、飯塚病院のリハビリの現場を訪れる機会がありました。そこで働く人たちや患者さんの姿、その空気に触れた瞬間、自分の心の中で何かが決まりました。
「ああ、医療こそ自分の天職だ」
と思ったのです。
これは理屈でも損得でもありません。むしろ、「安定した会社を辞める」という決断は、得とは言えないでしょう。それでも、そのときの自分には、この道しか見えなかったのです。
会社を辞めた後、自閉症の子どもたちに関わるボランティアをしながら学び、川崎リハビリテーション学院に進み、作業療法士の資格を取得しました。

医療の現場は厳しかったですが、やりがいもありました。患者さんの身体が少しずつ動くようになると、表情が変わり、家族の顔つきも変わっていく。人が回復する過程に関われることに、仕事の意義を感じました。
それらの経験は、現在の病院経営にもつながっています。経営者というと、数字や組織の話になりがちですが、私の原点はまず現場であり、人であり、患者さんの生活そのものです。そこを知らずに病院経営だけを行っても、本当の意味で医療は理解できないと思っています。

損得ではなく、目の前の子どもに向き合った

私は34歳で独立し、発達障害児を対象にした教育施設「知徳学園」を立ち上げました。今でこそ「発達障害」という言葉はかなり浸透していますが、当時はあまり理解が進んでいませんでした。だからこそ、この施設を必要としている子どもや親御さんがたくさんいました。
結果として、300人以上の子どもたちが集まりました。
それだけニーズがあったということですね。ただ、ニーズがあることと、経営として成り立つことは別でした。入園する子どもは母子家庭も多く、月謝の支払いが滞ることも少なくありませんでした。経営は本当に厳しかったです。よく言えば理想を追っていましたが、現実的に言えば「採算の合わないことをやっていた」のかもしれません。
けれど、私はその子たちを「お金がない」という理由で見捨てることはできませんでした。
経営者としては甘いかもしれませんが、それは「人として線引き」する行為に思えたのです。
ありがたいことに、福岡の経済界の方々の中に私の姿勢に賛同し、支援してくださる方がいました。そのご支援があったからこそ、経営を続けることができたのです。
人は、打算だけで助けるわけではない。
「本気」を見て、感じ取ってくれる人は必ずいることを実感した出来事でした。
知徳学園は最終的には解散しましたが、私にとっては大きな財産になりました。あの経験のおかげで、採算だけでは判断しない自分ができた一方、理想だけでは続かないこともよくわかったのです。あの時代に、理想と現実の両方を叩き込まれたのだと思います。

病とともに生きることが、自分の土台になった

私は幼い頃から心臓が弱く、青春時代には激しい発作にも悩まされました。「今度こそ死ぬのではないか」と思ったことが何度もありました。二度の大きな手術を経て、なんとか普通の生活ができるようになりましたが、今に至るまでずっと身体の制約とともに生きてきました。
だから、「人生は思い通りになる」とはあまり思っていません。自分の身体がいつ何を言い出すかわからない。その感覚が、常に頭のどこかにあるからです。
後年、ジムでトレーニング中にダンベルが右足に落ちて骨折し、その後、パーキンソン症候群のような症状が出るようになりました。医療の現場で、大きな怪我をきっかけに病気が表面化したり、一気に悪化したりするケースを数多く見てきたこともあって、「怪我は大病のもと」だと実感しました。
もちろん、不自由さはあります。歩き始めに時間がかかることもあるし、人の助けを借りる場面も多い。それでも、自分を不幸だと思ったことはあまりありません。病気を抱えながらでもやれることはあるし、むしろ制約があるからこそ見えるものもあるからです。
私は「諦観」というものを大切にしています。
これは投げやりな諦めではありません。できないことを無理に望まない。一方、自分が守るべき領域は何があっても守るという感覚です。誰かに自分の人生を牛耳られることだけは避けたい。病気であろうと、身体に制約があろうと、自分の領域は自分で守る。その思いでここまでやってきました。
そういう意味で、病気は、私の人生の「ペースメーカー」になっています。無理をしすぎれば倒れる。だから、自分を見失わずに済んだ部分もあります。そう考えると、病とともに生きてきた経験そのものが、自分の人格や哲学の一部になっているのだと感じています。

医療経営で最後にものを言うのは、人柄である

病院経営に携わるようになって、強く感じるようになったことがあります。それは、医療の現場において最後にものを言うのは「人柄」であるということです。
知識や技術は大前提。そのうえで、患者さんやご家族が見ているのは「その医師がどのような人間か」「安心して命を預けられる相手かどうか」それだけです。「忙しいから仕方がない」「人手が足りないからしょうがない」という言い訳は、患者さんには通用しません。以前、ガン末期の知人が入院していた病院で、医療従事者の冷たい対応を目の当たりにしたときには、なんともやりきれない思いになりました。
だから私は、病院のリーダーを選ぶ際にも人間としての見識を重視します。
品性や品格があるか? 感情や欲望をコントロールできるか?
経営とは突き詰めれば「人を見る仕事」だと思うのです。

病院再生も、組織づくりも、甘い理想論ではできない

私はこれまで、徳山病院や井口野間病院など、複数の病院経営に関わってきました。外から見れば派手に見えるかもしれませんが、実際は地味で泥臭い作業の連続です。
徳山病院の場合は借金も抱えており、立て直しには相当な覚悟が必要でした。それでも引き受けたのは、「この病院は変えられる」という感覚があったからです。

病院再生で大切なのは、単にコストを削ることではありません。「この病院は何のためにあるのか」「ここで働く人間は、何を目指すのか」それを明確にすることです。
病を治し、退院へとつなげ、地域の中で生活を取り戻していただく。
その方向に舵を切ることで、現場の士気は変わり、患者さんやご家族からの評価も変わっていきます。必要以上の薬を処方したり、場当たり的な対応をするのではなく、きちんと治療し、社会復帰まで支える。それが本来の姿ではないでしょうか。
そして、最も重要なのは、「一人のキーパーソン」です。
どれだけ立派な方針を掲げ、資本を投入しても、現場でやり切る人間がいなければ、病院は変わりません。逆に言えば、「この人なら変えられる」「この人が軸になれば組織は動く」と思える人物が一人いれば、病院は必ず再生します。
そのために、私はまずその人物を見つけます。医師でも看護師でも事務方でも、役職は関係ない。逃げないか、やり切る覚悟があるか、周囲を巻き込めるか、信頼に値するか。その本質を見極めます。
そして、「この人だ!」と思ったら、徹底的に関わります。
つまり、病院再建とは、建物を建て替えることでも、数字を整えることでもありません。人の意識が変わり、現場の空気が変わり、患者さんへの向き合い方が変わること。 私は病院を買っているのではなく、「人」と、その先にある「未来」に投資しているのです。

自立とは「勝つこと」ではなく、
「負けないこと」である

私が考える「自立」は、起業して大きく成功することでも、人より抜きん出た成果を出すこでもありません。人に支配されることなく、自分のペースで、自分の人生をやり遂げていくこと。言い換えれば、「勝つこと」より「負けないこと」のほうが大事だと思っています。
これからの時代、雇用は確実に縮小していくでしょう。貯金も少なく、後ろ盾もない人間がまず何をすべきかと言えば、答えはシンプルです。理想を語る前に、まずは「食べていける状態をつくること」です。
選り好みをせず、今の自分にできることをやる。そして、その現実から逃げることなく、その中で目標を持つことです。
高すぎる目標は自分を苦しめるだけ。「これならできそうだ」と思えるところに目標を置き、一歩ずつ、積み重ねていくこと。3年後、5年後、7年後、自分がどういう姿になっていたいのかを、できるだけ具体的に思い描くこと。そして、その設計図に向かって、今できることを積み重ねていく。そこから人生は開けていきます。
本当の意味で、自分を支えられるのは自分自身しかいない。だから、私は自分で自分を励ましながら、ここまでやってきました。

私の根本にある「人に寄り添う」

私がここまでやってきたことを振り返ると、ずっと一つのことを問い続けてきた気がします。
それは、「人に寄り添うとはどういうことか」ということです。
寄り添うとは、優しい言葉をかけることではありません。ときに厳しい判断も必要だし、嫌われる役回りを引き受けることもある。それでも、根っこに「この人のため」「この地域のため」があるかどうか。それがなければ、医療も経営も空っぽになります。
私は病気もしてきたし、身体の不自由さも知っています。
人の優しさにも触れてきたし、偽善や欺瞞も見てきました。
だからこそ、せめて、患者さん、職員、そして関わってくれた自分の目の前にいる人に対して、常に誠実でありたいと考えています。

未来へのチャレンジ

私には大きな夢があります。それは、将来、西日本に1000床規模の医療体制をつくることです。それは規模が目的ではありません。まずは300床、次に500床……と、段階的に積み上げ、その延長上としての1000床です。

地域に必要とされる医療とは何か。それは、患者さんにとって安心できる場所であること。
働く人にとって誇りを持てる場所であること。
その結果として、1000床になるなら意味がある。
質の高い医療を、持続可能な形で広げていく。これが私たちの使命です。
その積み重ねが組織をつくり、やがて地域の医療を変えていく。
私はそう信じています。

この度、杉山さんと対談させていただき、改めて自分自身の仕事への向き合い方を見つめ直す機会となりました。杉山さんのまっすぐな情熱、そして迷いなく挑戦し続ける姿勢に触れ、私自身が医療の現場で大切にしてきた“人に寄り添う覚悟”を改めて強く意識することができました。
医療も経営も、最後に問われるのは「人としてどうあるか」という点です。対談を通じて、初心を忘れず、現場に立つ一人ひとりの姿勢こそが組織を変え、未来をつくるのだと実感しました。また、杉山さんの言葉から、私自身の中にある“まだやれる”“もっと良くできる”という向上への意欲を引き出していただいたように感じています。
今回の出会いは、私にとって大きな刺激であり、原点を再確認する貴重な時間となりました。杉山さんに心より感謝申し上げます。これからも互いに学び合いながら、より良い未来を形にしていければと思っています。

岡田メディカルインベストメント代表取締役 岡田 勢聿


今回、岡田勢聿さんと対談させていただき、改めて「人としてどう生きるか」という根源的な問いに向き合う時間となりました。
岡田さんは現在、パーキンソン病を抱えておられます。身体は思うように動かない状況にありながらも、対面したときの鋭い目力は非常に印象的であり、その内面の強さを感じました。インタビューを通して強く感じたのは、そうした状況の中でも、人生も仕事も止めることなく前へ進み続ける覚悟です。特に、病気を単なる不幸としてではなく、自らの人生の一部として受け止め、「どう生きるか」「どう戦うか」を問い続けておられる点が印象的でした。

また、病院再生や組織づくりに対する考え方も本質的です。人を信じる一方で、経営は決してきれいごとだけでは成立しない。その現実を直視し、裏で全体を見て勝ち筋を描く在り方に、岡田さんらしさを感じました。
制約や逆境を抱えながらも、自分の足で立ち続けてきた言葉だからこそ、深く心に響きます。私自身もまた「逆境」を経験してきました。その中で岡田さんと共有できた認識があります。

「たとえ誰もが見捨てる状況になっても、自分だけは見捨てないこと。自分を助けてくれるのは、自分だけです。」

この言葉は自身の歩みとも重なります。逆境は、落ちきらなければ見えない景色があります。この言葉には揺るぎない説得力があると感じました。
今回の対談を通じて、「人としてどうあるべきか」を見つめ直す機会をいただきました。この出会いに心より感謝申し上げます。

『私の哲学』編集長 杉山 大輔


2026年4月
勢成会 井口野間病院にてにて
取材・編集:杉山 大輔
プロジェクトマネジャー:安藤 千穂
文:柴田 恵理(『私の哲学』副編集長)
写真:梅原 祐一
制作:『私の哲学®』編集部