八重樫宏志氏のお話には、しばしば「選択」「ワクワク」という言葉が出てきます。多くの新規事業を立ち上げ、ヒット商品を生み出し、上場を果たしたカタリスト、ビジネスクリエイターの「選択」「ワクワク」の意味とは。そして、今必要とされる「個性」、今後の目標について伺いました。
Profile
第98回 八重樫 宏志(やえがし ひろし)
カタリスト | ビジネスクリエイター
1969年 岩手県生まれ。東京都立大学卒業。世界遺産として登録された、中尊寺にある老舗土産屋の長男として生まれる。学生時代はラグビー、アイスホッケーに汗を流す。大学卒業後、スポーツ系の広告代理店に就職し、以後、スポーツ、化粧品、ヘルスケア関連のブランド開発、プランニング等に関わる。35歳で事業責任者(執行役員部長)としてJIMOS株式会社に転身。2012年、新日本製薬株式会社に入社。専務取締役に就任し300億円企業に成長させ、IPOを牽引。2015年、コスメブランド「ローラ メルシエ(株式会社メルシス)」の代表取締役に就任。現在は事業家、カタリスト、ビジネスクリエイターとして多数のプロジェクトに関わっている。趣味は旅をすること。
親の背中を見て商売の楽しさを学ぶ
僕の指紋、薄いんですよ。実家が世界遺産として有名な中尊寺の参道で、60年以上続く土産物屋を営んでいます。僕も子どもの頃からお団子を焼くのを手伝っていたので指先の火傷を繰り返し、指紋が薄くなってしまったんです。でも、そのおかげで、お金のありがたさや商売の基本を覚えました。一人ひとりのお客様を大切にすること、商売の楽しさを、実体験として学びました。 お店には東京から自転車で北海道を目指す大学生、バックパック一つで世界を旅する海外の人たちが大勢立ち寄りました。彼らから東京や海外の話を聞く機会も多く、まだ見ぬ世界を想像しワクワクしていました。「僕も広い世界に出て、自分の目で見て、実際に肌で感じたい!」と思っていた、好奇心旺盛な子どもでしたね。おのずと日本一周、世界を目指して旅に出るようになりました。気づけば「自分らしさ」から「役割」へ
広告代理店に入社してからも、ビジネス書で学ぶだけではなく、自分で実際に行って、見て、感じることを大切にしてきました。この会社でゴルフのマスターズ・トーナメントや、インディアナポリス500などに現地で関われたことは、良い経験になっています。 当時はまさに怖いもの知らず。比較的早い時期から大きな仕事や役割を得ることができ、新規事業や面白いことにどんどんチャレンジしました。それは僕の好奇心や行動する勇気を面白がってくれた経営者の方々、好奇心をつぶさずに見守ってくれた上司や先輩、そしてクライアントがいてくれたおかげです。ただ、企画提案だけでは物足りず、もっと責任をもって事業に向き合いたいと考えるようになり、35歳のとき事業責任者として上場企業に移りました。 そこでも任された事業で結果を出し、報酬も上がりました。けれど、任される範囲が広がり、組織が大きくなるにつれて役職が与えられ、当たり前ですがその役割を果たすことを求められるようになり、それが仕事の7、8割を占めるようになってしまいました。それはそれで僕自身がビジネスマンとして成長していることであり、やりがいもあったのですが、徐々にこの状況は自分らしくないな、と感じるようになりました。何しろ、ワクワクすることが少なくなくなってしまったのですから。それに、他社の事例や教科書のものまねに終始する責任者やコンサルが多くて、現場の声や好奇心、多様な価値観がおろそかにされる状況に疑問を持ち始めたことも、心を重くしていました。必要なのは「決断し行動する勇気」
役職そのものにも、少し疑問を感じるようになっていました。本来、役職には権限が与えられ、それによって事業を推進する責任を負うものですが、日本ではみんなに認められたいという承認欲求や、安全な場所として役職を欲しがる人が多い。結果、少ない椅子を求めて、椅子取りゲームが起きてしまう。そして、いつの間にか自分がその会社に入った目的や志を忘れてしまうのです。 役職に就いているにも関わらず、会社への依存が生まれ変化を先延ばしにし、コンサルや誰かの理論に寄りかかり自分の意見を述べず、結局は多数決で答えを曖昧にする傾向があります。自ら機会を作り、何かを成し遂げるより、人の顔色をうかがったり、足を引っ張ったりすることに腐心している人もいます。会社にも本人にも無駄なことなんですけれどね。自ら決断し、責任を明確にし、行動することこそが成功への近道です。この時代に必要なのは「決断し行動する勇気」だと思います。 どんなに良い車を持っていても、行き先を決めるのは自分自身です。そして、その車に与えられた役割を間違えると、スポーツカーでキャンプに行くような居心地の悪さが生まれます。本来の自分を知り、見失っているのであればそれを取り戻すことが必要です。僕自身も自分を見失った時期があります。いろいろな経験をし、今はちょうど一周して元に戻った感じがします。自分の心に耳を傾ける
親の背中が僕の仕事の原点なら、「ワクワク」は僕の仕事の基本です。ご存知のように、経営にはさまざまな技術があります。管理会計やマーケティング技術もその一つです。それらは可能性を発見し、リスクを特定し、成長や挑戦を創造することに使われなければ意味がありません。僕はそれらの技術を駆使し、現場の声からあらゆる可能性を探ります。そして、できるだけ多くの選択肢を見つけ出し、そこから絞り込みます。最後は自分が選択するしかありません。その時は自分の心に素直に従います。例えば「ワクワク」する気持ちとか。 心に従うとは、知識と経験、自分との対話によって導かれるものであり、思いつきとは違います。やりたいか、後悔しないか、やり切る覚悟と情熱はあるか、そして楽しめそうか。それらを自分自身に確認することが大切です。これからの時代は冷静に問題をあぶりだし、ロジカルに思考し、その課題の解決に情熱的に取り組む、そんな静と動の多面性が大切だと感じています。「博士の頭脳とアーティストの感性、そして冒険家の好奇心」、これがこれから必要なビジネススタイルだと思います。心が感じることを信じ一歩を踏み出す
僕は新規事業や海外事業を担当することが多かったため、多くの人の価値観に触れ、多くの意思決定プロセスを経験できました。これには感謝しています。しかし、中には前例がない、成功する根拠を出してくれ、仕事の進め方が違うなどと否定的な言葉を並べて、結果的に結論を先送りにする人もいました。ビジネスはすべてが数値化できるものではないし、まして予測できるものでもありません。自分の目で現場を見ていない管理者の意思決定は、往々にして現場を混乱させ、時には間違いを犯すこともあります。 何かを変える、新しい事を成すのは大変で責任も生まれますが、一歩踏み出せば、確実に成長を感じることができ、そうした自分を楽しむこともできます。これからは、机上での学びや実体験に加えて、心を満足させるために「個性」「WILL」「自分を知ること」がより大切になると思います。今頑張っている皆さんには個性を失わないで仕事をしてもらいたいし、自身で作り出した「あるべき姿」に押しつぶされそうな40代、50代の方たちには、もう一度自分のアイデンティティーを取り戻してほしいですね。 現在、僕自身は今まで培った知識と経験を生かし、新しいビジネス、サービスの開発や投資、インキュベーションを行っています。今後はさらに心が欲したこと、好奇心に素直に従い、活動の領域を広げていきたいと考えています。 その一つが、日本の伝統文化のリデザイン、地方産業の再生です。3.11によって、僕の仕事の原点であった家業を畳まざるを得なくなりました。子どもの頃、初めて行った海水浴場が流されてしまった景色も見ました。改めて自分を育ててくれた環境と社会への感謝、周りの人たちの支援のありがたさを実感し、それらに社会に恩返ししようと思います。また未来への貢献として若い人財の「育成」「活躍の場の創造」も行っていきたいと思います。カタリスト|ビジネスクリエイター
八重樫 宏志
八重樫宏志さんとは、2018年に『私の哲学』福岡シリーズを行っている際、ある先輩に紹介していただき、一瞬で親しくなりました(笑)。僕は初対面で自分のことを話し過ぎる傾向がありますが、八重樫さんはとても「聞き上手」です。受け身の「聞き上手」ではなく、英語でいう “Active Listening”で攻めながら聴いてくださる姿勢が好きです。これまで多くのプロジェクトや事業を手掛けられてきた経験から身につけられた、ヒヤリング力と実行力が彼のビジネス成功の秘訣だと思います。 八重樫さんには、出会ってからこれまでの間、僕のビジネスに対してさまざまなアドバイスをいただいています。その中で「個性」を大切にする働き方、無理をしないで「自分らしさ」を解放できる環境が、精神衛生上にも重要であると再確認しました。今回のインタビューでもいろいろなヒントがあり、「僕の情熱で、どのように日本を元気にできるか?」これから考えていきたいと思います!
2020年2月 都内ホテルにて ライター:鮎川京子 撮影:稲垣茜