インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第111回 高田 光進氏

三菱商事の執行役員、顧問から在アルバニア大使へ転身。そして今、アルバニアと日本の企業をつなぐべく奮闘する高田光進氏。三菱商事時代のビッグビジネスから一転、スモールビジネスを一つ一つ丁寧に育てていこうと、種をまいています。夢が溢れる65歳のチャレンジを語っていただきました。

Profile

111回 高田 光進(たかだ みつゆき)

Albalkan Corporation 代表
高田 光進(たかだ みつゆき)生まれは大阪船場。育ちは八尾市。1981年慶應義塾大学経済学部卒業。三菱商事株式会社に入社。鉄鋼製品本部長、執行役員、オーストラリア、ニュージーランド三菱商事会社取締役社長、業務部長、メルボルン日本商工会議所会頭などを歴任。2018年追手門学院大学客員教授就任(2020年10月15日退任)。2020年10月19日、在アルバニア特命全権大使に就任。2023年12月外務省を退官、2024年5月にアルバニアでAlbalkan Corporation(コンサル会社)を起業。

人生の基本を教え込まれた学校教育

私の人生にいい意味で非常に大きな影響を与えてくれたのは、追手門学院小学校で受けた教育です。追手門学院小学校は1888年に、陸軍の外郭団体であった偕行社によって設立された大阪偕行社附属小学校に始まります。礼儀礼節を第一義とし、創設当初は軍部将校子弟の教育を主としていました。西日本で長い歴史を有する私立小学校の一つです。父が、「教育レベルが高くてしつけも厳しい学校だから、追手門に行けばいい」と言うので決めたのですが、私は大阪城の前に校舎があることが気に入っていました。毎日、朝礼で国旗掲揚があったり、ラジオ体操をしたり、規律は厳しかったですね。剣道部では、先生に「かかってこい」とか言われ、たちまちパカパカッと打たれてしまったり…。なにしろ昭和ですからね、そんなこともありました。ただ、大阪の名家の子弟が大勢いましたから全体的におおらかで、落ち着いた雰囲気でした。

中学進学となったら、両親に、もっと違った刺激を受けたほうがいいのではと言われ、公立中学に進むことになりました。当然ですが、私立学校とは違います。家庭の事情もさまざまだと、この時に学びました。高校は鹿児島県にあるラ・サールです。ラ・サールは基本的に寮か下宿なので、親元を離れて暮らすのもいいかなと思ったんです。独立心が強かったのかもしれません。ラ・サールは、学生250人のうち、自宅からの通学生は50人ほど。残りの200人は全国から集まっていました。そのせいか、大阪にも東京にもない独特の文化がありました。コスモポリタンとでもいいたいようなオープンな雰囲気です。みんな一生懸命に勉強しているのですが、ガツガツしているわけではなく、明るくて面白い。切磋琢磨する仲間でしたね。

今も大切にする加藤寛教授の2つの教え

当時、私には将来の夢が2つありました。一つは、官僚になって国に尽くす。もう一つは、総合商社で世界的なビジネスをする。ところが、自分で言うのもおかしいのですが、官僚には向いていないとわかっていました。型にはめられて、ルール通りに動くというのは、どうも性に合ってない。自由に飛び跳ねたい人間なのです。だから、民間企業に入るのがいいだろうなと、心のどこかで思っていました。

そうした気持ちを抱えながらの大学受験で、東大は落ちてしまい、慶應義塾大学に受かりました。官僚になるなら東大ですが、民間企業なら慶應義塾でまったく問題ありませんし、私は浪人だけはしないと決めていました。1年でも早く社会に出たかったんです。それに、慶應義塾と追手門学院のカルチャーがよく似ていました。穏やかで、いい人が多くて、早々に慶應義塾に決めました。

3年になってゼミを決める際、社会人になっていろいろな場面に遭遇した時のことを考えれば、経済政策を勉強しておくのがいいんじゃないかと、加藤寛先生のゼミに入りました。このゼミは厳しかったです。1週間に、サブゼミ17コマと本ゼミ2コマがあるうえに、18人のゼミ生が体制比較、日本経済、計画経済の3グループに分かれて夏休みに論文を書かなければいけないんです。そのためには3年の春から毎日準備しないと間に合わない。全員で資料を輪読し、レジュメを作って議論する日々です。泊まりがけの合宿もありましたから、ゼミ生と暮らしている感じでしたね。ご存知の方も多いでしょうが、加藤先生は橋本龍太郎首相や小泉純一郎首相ら歴代首相のアドバイザーをしておられました。国鉄、電電公社、専売公社、そして郵政の民営化を進めた方です。加藤先生に、私は2つのことを教わりました。一つは「我ただ足るを知る」こと。もう一つは「自分が嬉しい時には、助けてくれた人に感謝せよ。自分が失敗したと思った時には自分を責めろ」。この2つの教えは未だに自分に言い聞かせています。

ビジネスの基本は好きになること、信頼すること

就職先を決める時、どの総合商社にするかで迷っていたら、加藤先生から「三菱商事に行きなさい、三菱商事一本で頑張りなさい」といわれました。「4年間しっかり勉強した君が入れないなら誰も入れない」と言ってくださり、それが自信になって面接試験を受けたことを覚えています。

入社後は、鉄鋼輸出に配属されました。輸出営業がしたかったので、嬉しかったですね。2年目の秋にはカナダとアメリカに出張させてもらい、シカゴ経由でデトロイトに到着した時には、アメリカは広いと思いました。デトロイトでは朝食のパンケーキの大きさにびっくり。受験勉強の延長程度の英語力の私に、現地の顧客とのミーティングで同行されていた日本企業の方々に対して通訳をするよう指示があり、必死になって対応したのも懐かしい思い出です。初めての海外出張を通じて学ぶことがたくさんありました。

1986年まで北米を担当していましたが、組織変更があり地域別から品種別に変わりました。そこからタイ、マレーシア、オーストラリアなどアジア・オセアニアの国も担当するようになりました。89年に韓国駐在を命じられ、2年半いたのですが、これも勉強になりましたね。当時の韓国は日本産品の輸入は禁止されており、日常生活でも不便がありました。現地職員とも日本職員と同様に接し、現地社員の力を借りながら、一緒に仕事を進めることの大切さを学びました。この時の学びは、その後の日本での業務、オーストラリア、ニュージーランドやアルバニアでの海外勤務でも生きたと思います。

大切なのは、その国を好きになることです。よく、駐在先の国に関して不平・不満を言う人がいますが、嫌なところを見つけるのは簡単です。それを指摘したからといって、自分が思うようになるなんてことはありません。国民性や文化、食べ物なんでもいいのですが、いいところを見つけなければ、いい関係は築けません。受け入れられないところがあったとしても、それを口にする必要はない。私は今も韓国が大好きですし、友人も大勢います。それに、厳しい環境の韓国で仕事ができたことは自信になり、自分は世界中どこでも仕事ができると思えました。ビジネスの基本は全世界共通です。相手のことを常に考え、何を求められているのかを感じ取ることです。若い社員が、自分のペースで進めようとしているのを見ると、「ビジネスはデートと一緒だよ」とアドバイスします。相手が何が好きで、何をしたいのかを聞くこと、これが一番大切なんだとね。もう1つは、現地の人と信頼関係を築くことです。現地の人のほうがその国の文化、経済、歴史に詳しいのですから、日本人の自分がいくら一人で頑張っても限界があります。必ず現地社員に任せなければならないことが出てきます。任せるためには相手から信頼され、自分も信頼するしかないんです。全部自分でやろうなんて絶対に無理です。総合商社の仕事を離れて数年たちますが、仕事はやり切った感があります。

アルバニアと日本をつなぐビジネスを育てる

62歳の時に在アルバニア日本大使に任命されました。日本は多くの国に大使館を設けていますが、一部の大使は外務省出身者以外から任命されています。私は三菱商事歴代三人目の大使でしたが、他の総合商社、金融関連企業等の出身者も任命されています。まさか私自身が大使を拝命するとは夢にも思っていませんでしたので、まさに晴天の霹靂でした。また、どこの国に駐箚するかは直前まで決まらず、アルバニアと聞いて、全く知見のない国であったので驚きました。赴任は2020年11月末、コロナ禍の真っ只中でした。三菱商事のオーストラリアやニュージーランド現地法人の社長時代に、大使とのお付き合いもあったので、ある程度は大使の仕事内容については理解していました。大使の皆様は温厚で、人との接し方、雰囲気作りもうまく、素晴らしい方々でした。いざ自分が大使を拝命した際には、今までのようにビジネスパーソンとして利益を追うのではなく、国の代表として見られるのだから行動や発言に気をつけなければならないと肝に銘じました。また、アルバニアと日本の両国関係をさらに緊密にするためにどのような貢献ができるだろうかと考えました。アルバニアは親日国ですが、さらに日本の存在感を高めるためにいろいろな施策に取り組みました。例えば「草の根ODA」を通して医療機器や消防車、救急車を地方自治体に寄贈したり、日本文化への理解を深めていただくために、Japan Week(日本文化週間)イベントを開催しました。また、民間出身大使としては特に両国間の貿易拡大に注力し、一定の成果をあげることができました。

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大使時代に両国の民間企業に新たなビジネス機会をご紹介したことを通じ、いくつかの企業から「ビジネスパートナーを紹介してほしい、ジョイントベンチャーを立ち上げたい」というお問い合わせをいただいており、関心が高まってきています。今後は新たなビジネス構築に向けお手伝いをしようと考えています。ビジネスの規模感としては、三菱商事時代に担当していた仕事とは正反対の、比較的小規模なビジネスですが、一つ一つ数が増えていけばいい。インキュベートしながら育てていくことにチャレンジしたいと思います。結局、私はアルバニアがとても好きになったんです。超親日国で気候はいい、人々がフレンドリーで食べ物は美味しい、美しい景色が多くて治安がいい。これからの自分自身のチャレンジの結果が楽しみですね。

今回のインタビューを通じて今までの仕事人生を中心に振り返る良い機会にもなり大変良かったと思いました。小学校時代から大学までの学生時代,社会人になってからの三菱商事勤務時代そして在アルバニア大使の3年間に取り組んだ仕事の内容を思いだしながらインタビューに応じましたが、今まで歩んできた自分の人生を俯瞰することができました。その結果、改めて「人生何が起こるかわからない、大変面白くワクワクするものだな」と感じ、これからの人生も是非エンジョイしたいと思いました。

その中で一つ痛感したのは「自分の人生において素晴らしい両親、家族、友人、恩師、職場の先輩、同僚、後輩、仕事関係のカウンターパート等に恵まれ、皆様に支えていただいたお陰様で今日がある」ということです。

66歳になりアルバニアで起業しましたが、引き続き日本とアルバニアの両国間の関係を主として新たなビジネス構築を通じ、さらに緊密かつ良好にするよう尽力しようと思っています。今後ともご支援、ご指導のほど宜敷くお願い申し上げます。

Albalkan Corporation 代表
高田 光進


今回のインタビューで、高田光進さんの豊かな人生経験と深い哲学を伺うことができ、大変感銘を受けました。三菱商事でのキャリアからアルバニア大使としての経験、そして新たなビジネス挑戦への意欲は、多くの人々に勇気とインスピレーションを与えるものでした。

特に印象的だったのは、高田さんが異文化への理解と愛情を強調されていた点です。韓国での勤務経験や、アルバニアでの新たな挑戦を通じて、どのような国や文化においても、尊重と信頼を基盤とした人間関係を築くことの大切さを学ばれたことに深く共感しました。また、アルバニアという国の美しさと魅力を実際に体感したことで、その国への愛情が一層深まったというお話も印象的でした。

高田さんのお話には、慶應の塾員としての誇りや、加藤寛教授との出会いが影響していることも伺えました。加藤寛教授は『私の哲学』第12回に登場しており、私自身、2012年に加藤先生の晩年にインタビューする機会を得たことを思い出します。若い頃の加藤先生のお話を直接伺うことができたのは、非常に貴重な経験でした。

このインタビューを通じて、異なる文化や背景を持つ人々との交流が、どれほど我々の視野を広げ、成長を促すかを改めて感じました。高田さんのように、常に新たな挑戦を恐れず、世界とのつながりを深めていく姿勢は、多くの人にとって大きな励みとなるでしょう。今後も彼の活動に注目し、応援していきたいと思います。

また、アルバニア観光もご案内いただき、プライスレスな経験をしました。アルバニアと日本のビジネスを繋ぐ仕事を、高田先輩と一緒に進めていきたいと強く感じています。

『私の哲学』編集長 杉山 大輔

MAK Albania Hotelにて 編集:杉山 大輔 撮影:Roxanna Tuttle