14歳でハワイに渡りサーフィンと出会った藤澤譲二氏。彼のサーフィン人生は、ハワイから始まり、やがて日本のサーフィンシーンに大きな影響を与えることに。来年50周年を迎えるにあたり、「フリュードパワーサーフクラフト」を支え続け、サーフィン文化の発展に貢献してきた彼の物語をお届けします。
Profile
第114回 藤澤 譲二(ふじさわ じょうじ)
有限会社フリュイドパワー 代表取締役
1950年10月6日生まれ、東京都府中市出身。1965年に中学を卒業したばかりの14歳でハワイに渡り、サーフィンを始める。1973年、日本プロサーファーの第1期生となる。1974年、茅ヶ崎にサーフショップ「フリュードパワーサーフクラフト」の前身である「サーフバム・サーフショップ」を開業。1978年、JPSA(日本プロサーフィン連盟)のプロ一期生(A級認定プロ6名の1人)として活動。サーフショップの運営を通じて日本におけるサーフィンの普及に尽力し、茅ヶ崎市とホノルル市の姉妹都市契約への道筋を支えるなど、日本のレジェンドサーファーの一人として知られる。
サーフィンとの出会い
ハワイに渡ったのは、中学を卒業したばかりの14歳のときです。母の姉が結婚を機にハワイへ移住していて、母が私の将来を案じて、叔母の元に送る決断をしたのがきっかけでした。ハワイでは、住まわせてもらっている恩返しも兼ねて、毎朝学校に行く前に叔母の店で皿洗いを手伝っていました。放課後は、学校の前まで友人たちが迎えに来て、そのまま海に通っていました。最初の一年間は365日、毎日サーフィンに明け暮れていました。
ハワイでの生活は当初、慣れない環境で退屈でした。しかし、従姉の友人に連れられて海に行ったとき、サーフィンの魅力にすぐに惹かれました。自然と一体化し、波に乗るときの解放感は言葉にできないほど素晴らしいものでした。 サーフィンの最大の魅力は、入場料がかからないことです。母子家庭で裕福ではなかったため、日本では小学生のときに自転車を買うために牛乳配達や新聞配達をしてお小遣い稼ぎをしていました。サーフィンは気軽に楽しめる貴重な遊びでした。最初のサーフボードは約3万6,000円で購入しましたが、当時の私には大きな投資でした。
言語の壁を映画で克服
ハワイに渡った当初は英語が全くできず、孤独を感じることも多かったです。学校に通いながら、英語を必死に学びました。インターネットもない時代、日本語に触れる機会がほとんどなかったので、英語を克服するにはサーフィンでできた友人との会話が非常に助けになりました。
さらに、映画も英語を学ぶ大きな手段でした。映画館に足を運び、映画を見て、セリフや表現を繰り返し聞くことで英語を理解し、話せるようになっていきました。映画は単なる娯楽ではなく、貴重な学習手段として役立ちました。結果的に、映画でリスニングを鍛え、友人との会話でスピーキングを鍛えたのです。
映画を見る本数が増えるうちに、次第に映画がより好きになり、いつか映画を作ってみたいという夢も芽生えました。映画には人々の心に訴えかける力があり、その力を自分の手で作り出し、多くの人々に感動を与えたいと考えるようになりました。
サーフィンとの出会いと人との繋がり
- 人生を変えたランディ・ラリックと「フリュードパワーサーフクラフト」オープン時
- 「フリュードパワーサーフクラフト」 1965年
1965年にハワイへ渡った際、サーフィンを始めて約2年が経った頃、私は初めてサーフィンの聖地であるノースショアのサンセットビーチに一人で行きました。海を見渡してどこから入ろうかと考えていると、一人のハワイアンが「初めてか?」と声をかけてくれました。そして、「俺に付いて来い」と言ってくれ、ポイントまで一緒にパドルしながら案内してくれたのが、後にハワイの英雄として知られるエディ・アイカウ*1 だと後から知ることになります。さらに、エディ・アイカウと出会った翌年には、ワイキキでまたしてもハワイの英雄であり、銅像にもなっているデューク・カハナモク*2 に実際にお会いすることができました。現在、デュークの寝室に飾られていた絵は私の手元にあり、大切に保管しています。
その後、ハワイでランディ・ラリック*3 と出会いました。当時19歳で既にサーフショップを持っていた彼との出会いが、私のサーフィン人生に大きな影響を与えました。ランディのショップライダーとして活動する機会を得たことで、多くのレジェンドサーファーたちとも知り合うことができました。この経験が、日本でサーフショップ「フリュードパワーサーフクラフト」を開業するきっかけとなりました。ランディとはその後も兄弟のような親しい関係を築き、彼は後にサーフィン界の重鎮となりますが、その絆は今も続いています。
*1 エドワード・ライアン・アイカウ(Edward Ryan Aikau, 1946年5月4日-1978年3月17日)は、ハワイマウイ島出身の伝説的なライフガード、サーファーである。彼の生き方を称えた「Eddie would go(エディなら行くぜ)」のフレーズでも有名である。
*2 デューク・カハナモク(Duke Paoa Kahinu Mokoe Hulikohola Kahanamoku, 1890年8月24日- 1968年1月22日)は、ハワイ出身の伝説的な水泳選手、サーファーである。オリンピック金メダル3個獲得。サーフィンのスポーツとしての普及に多大な貢献をした。
*3 ランディ・ラリック-(RANDY RARICK 1949年10月31日生まれ) オアフ島サンセットビーチ在住世界中をくまなく旅をして各国でサーフィンをしてきたトラベルサーファー。 プロサーフィン組織(現ASP)を設立から育んできたことでも有名で、多方面でマルチな活躍をしているレジェンド。
フリュードパワーサーフクラフト
「フリュードパワーサーフクラフト」には私の情熱が詰まっています。
ショップの名前は「Fluid」(流れるような)と「Power」(力)を組み合わせたもので、サーフィンの動きや波をイメージしました。「Surf Craft」は手作りでサーフィンを広めたいという思いを込めたものです。最初は、「Surf Bum」という店名だったのですが、「『Bum』の放浪者や怠け者という言葉のイメージが強い」というランディ・ラリックからの助言をもとに、よりポジティブな意味合いを持つ名前に変更しました。
茅ヶ崎に店舗を開く決断をしたのは、ハワイで出会った日本人サーファーや友人が多く住んでいたからです。サーフィンの実績があったものの、店を運営することには不安もありました。ですが、「何が何でも潰さない」と強い気持ちで挑戦しました。結果として、オープンしてよかったと思います。「フリュードパワーサーフクラフト」を通じて築いた人間関係が、今では私にとってなによりの財産であり宝物。大きな支えとなっています。
「フリュードパワーサーフクラフト」を49年支えてきたのは、妻です。フラダンサーとしても知られる彼女は、経営担当としてショップを陰で支え、私が自由にサーフィンを楽しむ環境を提供してくれました。そのサポートがあったからこそ、店舗運営に専念でき、ショップの成功に繋がっています。
来年2025年に50周年を迎える「フリュードパワーサーフクラフト」は、妻と共に築き上げた成果です。これからも、この店を通じて多くの人にサーフィンの魅力や人間関係の重要性を伝えていきたいと考えています。
次世代への継承
「フリュードパワーサーフクラフト」では、かつて小学生向けのサーフィン教室を開催していました。この教室は、2000年から約15年間にわたり、地元の小学校の夏期課題授業の一環として行われ、子供たちがサーフィンを通じて自然と向き合い、自信を持って波に乗る技術を身につける場として親しまれていました。
この教室では、子供たちの体力やレベルに応じたカリキュラムが提供され、経験豊富なインストラクターによる丁寧な指導が行われました。その結果、多くの子供たちがこの教室を通じてサーフィンの楽しさを知り、技術を習得していきました。 しかし、近年の教育制度の変更により、当初この活動を支えていた小学校の総合授業が廃止されたため、現在ではこのサーフィン教室は残念ながら行われておりません。さらに、独自で開催していた夏休みの子供サーフィンスクールも、さまざまな事情により終了しました。
プロサーファーの田中樹氏(2009年JPSAグランドチャンピオン)や大橋海人氏(2015年WSL JAPANリージョナルチャンピオン)もこの教室の一期生。多くの子供たちがここでの経験を通じ、ワールドクラスのプロサーファーとしての道を歩んでいます。
現在、当店では大人向けのサーフィン体験に注力しています。講師の牧野拓滋(JPSA公認プロロングボーダー)は優しく懇切丁寧に教えてくれることに定評があります。また、私主催のプライベートレッスン「Master of Surf Culture」も開講しました。このレッスンは、サーフィン文化の歴史に触れながら、充実したサーフィン体験ができる内容となっており、初心者から上級者まで幅広い層の方に楽しんでいただけます。
これからも、サーフィン文化の発展を支え、広めていくことが私の使命だと思っています。
今回のインタビューを通じて、自分のサーフィン人生を振り返る貴重な機会をいただきました。サーフィンやサーフショップを通じて出会った多くの人々との繋がりこそが、私の人生における最も大切な財産であると改めて感じています。
杉山大輔さんとのインタビューでは、彼の行動力とエネルギッシュなアメリカンなスタイルに非常に感銘を受けました。若々しさと情熱を持ち続ける姿は、私にとっても大きな刺激となりました。Gordon&Smithのアンティークボードもプレゼントしていただき、一緒の初乗りは最高に気持ちよかったです。このボードは地域の皆さんと一緒に大切に活用していきたいと思います。今後も多くの方々とサーフィンの魅力を共有し、さらに人と人との繋がりを広げていけるよう努めてまいります。
有限会社フリュイドパワー 代表取締役 藤澤 譲二
譲二さんの人生は、サーフィンとの出会いと人との繋がりによって形作られてきました。14歳でハワイに渡り、サーフィンの魅力に目覚めた彼は、その後、ランディ・ラリックとの運命的な出会いを通じて日本のサーフィンシーンに多大な影響を与えました。「フリュードパワーサーフクラフト」を50年にわたり支え続け、譲二さんはサーフィン文化の普及に尽力してきました。
彼の成功の背景には、妻の支えや多くの人との深い絆があります。サーフィンを通じて築かれたこれらの繋がりが、藤澤さんにとって最大の財産であり、それが彼の人生を豊かにしてきたことは間違いありません。藤澤さんの物語は、単にサーフィンの技術やビジネスの成功だけでなく、人との関係性がいかに重要であるかを深く感じさせるものです。
今後は、譲二bossと呼ばせていただきます🌊譲二bossがこれからも多くの人々と絆を築き、サーフィン文化をさらに広めていく姿を応援しています。来年の50周年記念パーティー楽しみにしています!
フリュードパワーサーフクラフト
藤澤ジョージさんのサーフショップでは、1965年にハワイでの出会いから始まったサーフィンの魅力を体験できます。
情熱と愛情が詰まったショップで、ぜひサーフィンスクールを試してみてください。本物のサーフィンを楽しむことができます。杉山大輔はプロサーファーの牧野拓滋さんより指導を受けレベルアップしました。
フリュードパワーサーフクラフト
〒253-0054 神奈川県茅ケ崎市東海岸南1-21-1
営業時間 9:00~19:00
駐車場 3台
定休日 火曜日
TEL:0467-86-6944
FAX: 0467-86-2888
2024年5月 フリュードパワーサーフクラフトにて
取材・編集 :杉山 大輔
プロジェクトマネージャー : 安藤 千穂
文 : 柴田 恵理(『私の哲学』副編集長)
撮影 : 杉山 丈太郎