私の哲学Presents

ピアノの前に座るとスイッチが入る。穏やかなまなざしから一変、音符一つひとつに魂を込め、作曲家の想いを現代に蘇らせる――それがピアニスト福原彰美だ。ピアノと共に歩んできた人生は、常に「やるからには!」の言葉が背中を押してくれた。14歳にしてリサイタルデビューののち、15歳で単身渡米、ジュリアード音楽院での毎年7名という狭き門を潜り抜け研鑽を積んできた。AI時代だからこそ、最後に選ばれる“リアル”とは何か──その答えを聞いてみた。

Profile

122回 福原 彰美(ふくはら あきみ)

ピアニスト
大阪府生まれ。14歳で浜離宮朝日ホールにてデビューリサイタルを開催。そのライブ録音は学研PLATZよりリリースされる。中学校卒業後に親元を離れ単身渡米し、サンフランシスコ音楽院、ジュリアード音楽院で研鑽を積む。在学中、ケネディ・センターで開催される全米の音楽大学による「コンサヴァトリー・プロジェクト」にソリストとして出演。

これまでに秋山和慶指揮/東京交響楽団、サンフランシスコ交響楽団室内楽シリーズ、ニューヨークでのメトロポリス・アンサンブル公演等に参加。
CHANELピグマリオンデイズアーティスト。チェリストのクリスティーヌ・ワレフスカ氏の要請によりアジア、南米ツアーに同行するほか、チェリストのナサニエル・ローゼン氏、ヴァイオリニストのピエール・アモイヤル氏など著名な演奏家と共演・録音を重ねてきた。
その活動はニューヨーク・タイムズ紙、サンフランシスコ・クロニクル紙、日本経済新聞など国内外の主要メディアで高い評価を得る。
ACOUSTIC REVIVEよりソロアルバム『ブラームス:ピアノ小品集』(2017)、『ブラームス:ピアノソナタ第3番』(2025)を発表。ドイツロマン派と歴史的なピアノ奏法の研究に注力し、訳書に『ブラームスを演奏する』(クライヴ・ブラウンほか著/天崎浩二・福原彰美共訳)と『ブラームス読本』(マイケル・マスグレーヴ著/天崎浩二監訳/福原彰美共訳)がある。

福原彰美オフィシャルサイト
https://www.akimifukuhara.com/jp

母の「やるからには」が育ててくれた

私の音楽人生は、偶然の出会いから始まりました。音楽とは無縁の家庭に生まれましたが、2歳の頃に引っ越した大阪のマンションに、ピアノの先生が住んでいらしたのです。習い事と言えど、「やるからにはちゃんとやりなさい」という母の言葉のもと、ピアノが私の生活の中心になっていきました。厳しかったですが、積み重ねることの大切さを叩き込まれました。その姿勢は今でも私の土台になっています。

小学生の頃はコンクールを目標にひたすら練習していました。旅行先にも、楽譜と一緒にお手製の紙の鍵盤を持って行きました。 何回か辞めたいと思ったこともありました。遊びたいし。でも続けていたのは、上手く弾けた時の喜びが大きかったから。ピアノが合っていたのでしょうね。

小学6年生の春、父の転勤で千葉に引っ越してから、大きな方向転換がありました。新しい先生が「コンクールは出なくていい」とおっしゃったのです。そして、「負荷をかけて成長させる」という教育方針のもと、音の出し方、タッチの仕方、スケール(音階)を何度も弾くなど、毎週何時間も基礎から鍛え直すレッスンを受けました。そして12歳の時に、世界的ピアニストのシプリアン・カツァリス*1さんのサントリーホール公演のプレ・コンサートに出演し、14歳で浜離宮朝日ホールにて本格的なデビューリサイタルを開催させていただきました。その頃の私は、言われるままに走り、とにかく目の前のことに必死でした。
15歳になった時、「今すぐアメリカに行きなさい。サンフランシスコのマック・マックレイ教授に師事するといい」と恩師に背中を押され、渡米を決心。この時、「ピアノで生きていく」と覚悟を決めたのです。

*1 シプリアン・カツァリス(Cyprien Katsaris、1951年5月5日 – )フランス出身の世界的ピアニスト。卓越した技巧と幅広いレパートリーで知られ、特にリスト作品の解釈と演奏において高い評価を受けている。国際的なコンクールでの受賞歴を持ち、世界各地の主要コンサートホールで演奏活動を行うほか、教育者としても多くの若手音楽家の育成に携わっている。

アメリカで学んだこと

私はもともと口下手なうえ、英語も苦手でした。アメリカでも、最初はまるで貝のように何も話さない、変な子でした。そんな私に、サンフランシスコの先生は言葉で説明するよりも、実際に弾いて見せ、音楽を体感させてくれました。アメリカでの勉強は、先生のすばらしい演奏を真似るところから始まりました。 高校を早めに卒業し、サンフランシスコ音楽院へ。その後、ジュリアード音楽院の大学院へと進みました。ジュリアードのピアノ科の修士課程は毎年わずか7名ほどの狭き門。世界中から集まった人たちはお国柄も違えば、弾き方も全然違い、みんな個性的でした。

サンフランシスコ音楽院はのびのびとリラックスした雰囲気だったのに対して、ジュリアードは一転ピリッとした緊張感が漂っていました。大学院では楽曲分析や論文執筆が課され、難解な音楽書を読まされました。たとえば、ソナタ形式の主題がどう展開され、転調し、再現されるか……そういった音楽の構造を徹底的に分析するのです。
この学びが、後のブラームス*2 研究の土台になっていきました。

*2 ヨハネス・ブラームス(独: Johannes Brahms、1833年5月7日 – 1897年4月3日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共にドイツ音楽における三大Bとも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風は概してロマン派音楽に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。ベートーヴェンの後継者ととらえる人もおり、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の『交響曲第1番 ハ短調』を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評した。

わからないなかで弾く

この頃から、演奏は「弾けるかどうか」ではなく、「どこまで理解しているかを問われるもの」へと変わっていきました。そして、私はある時から「ピアノがわからない状態」になったのです。何が良い音楽なのか? 自分の演奏のどこに課題があるのか? どうすれば前に進めるのか? がわからなくなってしまいました。
クラシック音楽は、遠い過去を生きた作曲家の作品を現代に甦らせる営みです。「理解したつもり」で弾いても、音に命は宿りません。作品を自分の内側に引き寄せ、人生の実感として演奏しなければ、聴く人には届かないのです。
だから、私は、あらゆる体験をピアノとの会話に置き換えることにしました。美しい景色に触れた時、アメリカでさまざまな異文化に触れた時、本を読んで感動した時……。あらゆる感情を鍵盤に託しました。

でも思うようにはいきませんでした。

「わからない」という感覚でいるのは心地の悪いものです。当時はそれを「スランプ」や「壁」といった言葉で説明していました。でも、今振り返ると、あれは私にとって絶対に必要な時間でした。

音楽は「正解」という枠に閉じ込めることもできないし、効率化することもできません。上手く弾くためのメソッドを見つけようとしてはいけなかったのです。手に取ることも、目に見えることもなく、その瞬間に生まれ、消えていく音楽。その「わからないもの」こそが私の向き合うべきリアリティでした。

「ステーキクーポン」から始まる不思議なご縁

ジュリアード卒業後もニューヨークを拠点に活動していましたが、人生は何が起こるかわかりませんね。
ある日、ジュリアードの向かいにあるスーパーで買い物をしていた時のこと。サラダバーの野菜を取っていると、見知らぬおじいさんが「そんなしなびた野菜はやめなさい」と言って、ステーキ肉のクーポンをくれたのです。この偶然の出会いが、まさに私の音楽人生を大きく変えることになりました。
実はその方、メトロポリタン歌劇場の元バイオリニスト、レズリー・ドライヤー*3さんだったのです。彼を通じて、世界的チェリストのクリスティーヌ・ワレフスカ*4さんに出会い、後に彼女の日本ツアーをご一緒することになりました 。

さらに、そのツアーの公演を聴きに来てくださったのが、その後、私のブラームス研究の扉を開いてくれることになる天崎浩二*5さんでした 。スーパーでのたった1枚のクーポン券が、世界的な演奏家との共演、そして今のブラームスへの取り組みにまでつながったのです。まるで「わらしべ長者」のようですよね。そんな不思議なご縁に導かれて、私はピアノを弾き続けてきました。
そして2015年、人生の中でもっとも大きな転機が訪れます。 父が突然この世を去ったのです。青天の霹靂でした。 父との別れは、私をふたたび日本へと導くことになりました。 父のことを思い返すと、怒られた記憶がありません。いつも私のことを大らかに見守ってくれていました。母の厳しさと父の優しさ、そのバランスがあったからこそ、私はピアノを続けることができた気がします。父を失ってはじめて、その存在の大きさに気づかされました。やがて日本での活動が増えていき、今に至ります。

*3 Leslie Dreyer (レズリー・ドライヤー)。アメリカの男性ヴァイオリニスト。1930年生まれ。2019年8月6日没。長年ニューヨークで生活。メトロポリタンオペラ管弦楽団で46年間ヴァイオリニストを務めた。
*4 Christine Walevska (クリスティーヌ・ワレフスカ)。アメリカの女性チェリスト。1945年生まれ。 ロサンジェルス生まれ。8歳のときエニオ・ボロニーニ、13歳のときにグレゴール・ピアティゴルスキーに師事。1974年に初来日。1975年、フィデル・カストロ体制下のキューバで演奏した初のアメリカ人演奏家。ヘンリック・シェリングと共演したブラームスの二重協奏曲で高い評価を受ける。1970年代にフィリップス・レーベルから多くの録音を残している。
*5 天崎 浩二(あまさき こうじ)1952年生まれ。鳥取県出身。楽譜輸入販売・レンタル事業を行うミュージック・サプライを経営する傍ら音楽書の翻訳に従事。

音楽面での支え――ブラームス

その時、音楽面での私の支えは、19世紀のドイツの作曲家・ブラームスでした。ブラームスは人間の内面と深く向き合いますが、その精神は決して破綻せず、踏みとどまる強さがあります。派手さはないけれど、とても大人で、地に足がついているのです。そんな音楽が私にはとても人間的に思えました。「こんなに美しいものをどうやって描いたんだろう」という純粋な感動が、日々の練習を支えてくれるのです。帰国以来、私はブラームスを常に弾き続けてきました。

最近、長大な本を翻訳する機会に恵まれました。 『ブラームス読本 上下巻』。(『ブラームスの真実 上』/『ブラームスの150年 下』マイケル・マスグレーヴ著、音楽之友社)です。ブラームスの生涯を新しい視点で見直し、19世紀の作曲家として彼がどのような道を歩んだのかを再検証しています。さらに、1850年から2000年まで、150年にわたってブラームスがどう評価されてきたのか、その変遷もたどっています。

ブラームス研究の新しい金字塔とも言えるこの本を訳す作業を通じて、私は彼の音楽に秘められた物語をより深く知るようになりました。

この翻訳と、同時進行のような形で準備を進めたのが、ブラームスシリーズ第2作目となる最新アルバム『ピアノソナタ第3番〜若き作曲家の原点〜』(ACOUSTIC REVIVE)です。7年前にリリースした1作目『ブラームス:ピアノ小品集〜孤高の作曲家が音楽に込めた愛〜』(ACOUSTIC REVIVE)は、ブラームス後期の小宇宙とも呼ぶべき小品集でしたが、今回のアルバムには、彼の音楽の原点を探るべく、ピアノソナタや変奏曲、歌曲など若き日の作品を収めています。

福原彰美 ブラームス アルバム II
『ブラームス:ピアノソナタ第3番』
〜 若き作曲家の原点 〜
ACOUSTIC REVIVE 2025年11月24日発売

2作品とも、録音は高級オーディオケーブルをはじめ、高度な音楽再生をするための機器を製作する ACOUSTIC REVIVE (関口機械販売株式会社)さんによるものです。「最高の音を残す」というコンセプトのもと、スタジオではなくホールの響きをそのまま真空パックするよう、優れた機材を結集して収録しました。
また、相棒でもあるピアノはドイツの名器「ベヒシュタイン」を使わせていただきました。調律師さんが「楽器の進化は凄まじく、たとえるならiPhone 5からiPhone 16になったくらい別物」と表現されるほど。進化した現代のベヒシュタインのクリアな響きを駆使しながら、いかにブラームスが生きた時代の音や空気感を表現できるか。会場選びからマイク選びまで数年がかりで行い、制作チームと力を合わせて作り上げました。 収録曲で私が特に好きな曲は、「エオリアンハープに寄せて」という歌曲のピアノ独奏版です。キール大学のブラームス研究所から楽譜をいただき、世界で初めて録音しました。心を揺さぶるほど美しい曲です。

収録で一番大変だったのは、ピアノソナタ第3番。「弾けないかもしれない」と思うほど体力を使う曲です。ピアノは一見優雅にも見えますが、実は過酷な肉体労働でもあります。 本番中の心拍数はありえないほど速くなり、コンサートが終わると体重が2〜3キロ落ちることも珍しくありません。指先だけでなく背中から腕がつながっているような意識を持ちながら、全身全霊で弾くため、日々の身体のメンテナンスも欠かせません。アスリートのような自己管理も、プロとして弾き続けるための大切な仕事です。

15歳の自分に伝えたいこと

「人生って短いな」と思います。学べば学ぶほど、知らないことの多さに気づく。でも、それが楽しくもあります。
家族を得て、以前のように一日中ピアノに向かう生活は送れなくなりました。でも不思議なことに、音楽に対する思考はかえって自由になりました。これは予想もしなかったことでした。音楽を必要以上に追い詰めて考えなくてもいいのだと、ふっと力が抜けた感覚があります。
15歳の自分に何を伝えたいか、と聞かれたら……「長い道のりだよ」と答えます。
近道もなければ、効率化もできない。迷いや葛藤も含めたその「長い道のり」こそが、AIには再現できない人間だけの「リアル」な音を作るのだから、焦らなくていいよ、と。
長く抱えていたもやもやが、ふっと解ける瞬間が来る。ずっと高いハードルだったのに、気づいたらそれを越えていたという体験。それは自分でコントロールできる次元では起こらない。だから、「わからなさ」への耐久力をつけて、諦めずにいてほしい、と伝えたいです。
さまざまな作品の中で、「人類に光を当てるために書かれた」としか思えない作品は確かに存在し、その哲学を体現するための「演奏」があります。私はそれをこれからも追い求めていきたいです。音楽は決して一人では完結しません。恩師たちとの出会い、ブラームスという音楽的な支え、家族の存在、そして、演奏を聴いて下さる方々。そうした無数の出会いが、私とピアノをここまで運んできてくれました。
ピアノを演奏する時、私はとても小さな媒体として、過去と未来のあいだに立っています。
私の出す音が、聴いてくださった方の中で、小さくても何か動かすことができたら……それが今の私の願いです。

これまで錚々たる方々が登場されてきた『私の哲学』、「私で務まるのかな」と緊張しながら伺いました。でも、次々に具体的な質問を投げかけていただいて、気付けばあっという間に時間が経っていました。私の音楽人生に興味を持っていただいて、杉山さん、ありがとうございます。本当に楽しい時間でした。 杉山さんに初めてお会いしたのは昨年、滝富夫さんの卒寿のお祝いの席で、滝さんにご紹介いただいたのがきっかけでした。私の人生のこのタイミングで杉山さんにお会いし、取材をしていただけたのは幸せなことでした。今だから言葉にできることが沢山ありましたし、杉山さんの熱量がなければ、ここまで思い切って自分の言葉で語れなかっただろうなと思います。
私はピアノと人生を最初から切り離せなかったんだとわかりました。「あぁ、ただピアノが大好きだったのか!」とストンと腑に落ちました(笑)
印象的だったのは、杉山さんが「福原さんはおとなしい写真が多いから、もっと演奏が伝わるカットを撮らなきゃ」と考え、次々とアイデアを投げてくださったことです。ここまで考えてくださるのかと、感激しました。湧き出るエネルギーを周りに惜しみなく分け与え、周りも元気に明るくしてくださる方なのだなと思いました。私にはできないことなので、尊敬します。
杉山さんのパワーにあやかり、勇気を持って私もDoDoDoDo! と動いていきたいです。素晴らしい時間をありがとうございました。また、連弾ご一緒しましょう!

ピアニスト 福原 彰美


福原彰美さんは、ピアノの前に座った瞬間に空気が変わります。穏やかな佇まいから一転し、音に魂が宿る――その“豹変”こそが、福原さんの大きな魅力だと感じました。生演奏で体感した迫力は圧倒的で、音が立ち上がる瞬間の緊張感と、美しさの奥にある強靭さに心を掴まれました。
今回の対談では、卓越した感性だけではなく、積み重ね、迷い、そして「わからなさ」と共に歩んできたリアルなプロセスを、率直な言葉で語っていただきました。ピアニストとしての“技巧”にとどまらず、音の背後にある思考、人生、そして覚悟――プロフェッショナルのインサイトに触れられる時間でした。
福原さんの音楽をまだ聴いたことがない方には、ぜひCDも手に取っていただきたいです。文章では伝えきれない“本物”が、そこにはあります。インタビューを終えた今、福原彰美さんはこれからも聴く方の内側を静かに、そして確かに動かし続けるピアニストだと確信しています。
ベヒシュタイン・セントラム 東京のスタッフの皆様。とても素敵なホールで取材をさせていただき本当にありがとうございました。ベヒシュタインに初めて触れましたが、すばらしい音色で感動しました。福原さんと初心者曲を連弾できたのは良い思い出になりました。今後ますますのご発展を祈念しています。

『私の哲学』編集長 杉山 大輔

取材協力  ベヒシュタイン・セントラム 東京

ベヒシュタイン・セントラム 東京 地下鉄日比谷駅から直結したアクセス抜群の好立地に位置するベヒシュタイン・セントラム 東京。
ベヒシュタイン・セントラム 東京は、ショールームとホール・スタジオが併設しており、これまで以上にお客様のニーズにさらにきめ細かくお応えし、より充実したサービスをご提供いたします。
ショールームには、C.ベヒシュタイン/W.ホフマンの主要モデルを展示しております。ホール・スタジオは、リサイタルや発表会、個人練習やレッスンなど様々な用途でご利用いただけます。ベヒシュタインの透明で色彩感あふれる響きをご堪能ください。

店  名:ベヒシュタイン・セントラム 東京
所 在 地:〒100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目5−1 日比谷マリンビル B1
営業時間:10:00~18:00 定休日:水曜日
電話番号:03-6811-2925 (ショールーム) 03-6811-2935 (ホール・スタジオ)
アクセス:東京メトロ日比谷線 日比谷駅 A9出口 直結 JR山手線 有楽町駅 日比谷口 徒歩 5分

2026年1月 ベヒシュタイン・セントラム 東京ザール(ホール)にて
取材・編集: 杉山 大輔
プロジェクトマネジャー:安藤 千穂 
文:柴田 恵理(『私の哲学』副編集長)
写真:ごとーひろな