福岡放送のアナウンサーからキャリアをスタートし、フリーランスに転じて30年を迎える堤 信子氏。その間にエッセイストとして、さらに大学講師として、仕事の場を広げてきた時間の中で大切にしてきたこと、自然体でお話しいただきました。
Profile
第28回 堤 信子(つつみ のぶこ)
昭和女子大学 | 青山学院女子短期大学 | 法政大学兼任講師 | フリーアナウンサー | エッセイスト
1962年福岡県生まれ。福岡県立修猷館高校から青山学院大学経済学部を卒業後、FBSにアナウンサーとして入社、その後フリーに。NTV「ズームインスーパー」TBS「はなまるマーケット」朝の情報番組でレギュラーを長年務めるなど、TV、ラジオ、講演、司会などで幅広く活躍中。
また、エッセイストとして、感謝をテーマにした著書などを始め、WEBや紙面での連載も手がける。さらに、大学では、プレゼン、朗読などのスピーチ各論の授業で、学生たちの伝える力を向上させるべく、教鞭を取っている。
堤信子オフィシャルサイト
※肩書などは、インタビュー実施当時(2014年4月)のものです。
卒業までに英検1級!が条件で、東京の大学へ
勉強が嫌いでした。でも、英語は大好きでした。アメリカに住んでいたことのある祖父の家にクリスマスに遊びに行くと英語が飛び交っていたことや、英検1級を持っていた父の書斎に英語の本がいっぱいあり、子どもの頃から英会話を教えてもらっていたこともあり、憧れが強かったのだと思います。高校の時に交換留学制度の試験を受けたのも、その延長。短期留学でしたが、誰もが受験勉強をしている高校3年生の時に浮かれて帰ってきたので、第一志望に落ちました。高校が男子の多い進学校だったので、女子大をめざしていたのですが、最終的には青山学院大学へ。大ブームだった田中康夫さんの本『なんとなくクリスタル』の主人公が青学でしたが、なんとなく、じゃなくて、英語が強い大学ということで入学を決めました。 「大学4年の間に英検1級を取るなら、東京で暮らしていい」という親との約束でしたから、すごく頑張りました。多分、一生の間で一番勉強したのが、英検受験。でも、それがアナウンサー試験の武器になりました。採用の時はもちろんですが、入社してすぐの頃は外国のスターやタレントが出る番組に呼ばれることが多かったです。故郷、福岡放送の局アナ時代に鍛えられました
福岡放送のアナウンサーとして故郷に戻り、入社して9年で結婚しましたが、10年目に夫が転勤になったのを機に局を辞めました。以来、フリーでおよそ20年。30年もアナウンサーをしているわけです。 故郷の福岡が大好きだったし、福岡放送時代の仕事はすごく恵まれていました。入社2年目に、徳光さんがメインだった全国ネットの『ズームイン!!朝』に出ることになったのですが、『ズームイン!!朝』を担当すると局の看板アナって言われた時代でしたから、いろんな経験をさせてもらい、少しずつ鍛えられたと思います。まだ実力も伴わないのにメインの仕事を任せられて、ありとあらゆる特番で総合司会を任されることになったり。それはもう、ラッキーとしか言えない時代。私は局アナをやめたくなかったのですが、その後『ズームイン!!朝』のメインになった福留さんに「東京に来たら、新しい世界が広がるよ」と言われて局を辞め、後ろ髪を引かれる思いで福岡を離れました。フリーランスになった東京で、仕事の幅が拡大
東京での最初の仕事は、NHK BSの『おはよう 世界のトップニュース』という海外ニュース。半年後に日本テレビが『あさ天5』という早朝5時から6時の新番組をスタートさせることになり、メインの司会に誘われて5年半、スタジオに3時入りするために、毎日2時に起きていました。早朝番組の関係者は、だいたい9時には寝るって言われていましたが、私は朝一番のニュースを伝えるためには、夜一番遅いニュースを見ておかないと不安だったので11時半からの『今日の出来事』でニュースを見てから就寝。その後『はなまるマーケット』も始まったので、30代前半は平均睡眠時間が3時間くらいの日々でした。でも、『ズームインスーパー』と『はなまるマーケット』というほぼ競合に近い朝の2番組でレギュラーをやらせてもらえたのは、とってもラッキー。両プロデューサーの寛大さに、今も感謝しています。 30代は人生の分かれ道。同期のアナウンサーが結婚して辞めていくことが多かった中で、私は周りの人に恵まれて、いいタイミングでお仕事をいただけた気がします。夫は仕事に対する理解が結婚当初からひと一倍あったので、仕事で夜が遅くて食事を作らなくても何も言いません。仕事環境が本当に快適だから続けてこられたと思います。40代になっても忙しさは変わらず、考えたら、フリーの20年間は走りっぱなしでしたね。主役を輝かせる、脇役としての存在感
アナウンサーとしては当然ですが、日本語を大切にしてきました。同時に、アナウンサーはスーパーな脇役であり、主役である情報やゲストを引き立てるのが仕事。それを忘れないようにしてきました。タレントになってしまうタイプも、自分の個性をもっと出すタイプもいて、そういう人が重宝がられる番組もたくさんありますが、私が携わった朝番組では自分も輝きながら、その輝きで周りの人をもっと輝かせることが職人のようにできることを求められた気がします。 私は結婚していて生活のためというわけではなかったので、仕事を好きで続けてきて、お金は後から付いてくるという感覚がありました。男性のように家族を養うためにお金を稼ぐことが第一義ではなかったことは確かですが、一本一本の仕事に全力投球を心がけて、地味にコツコツ頑張ってきたと思っているのですよ。ライフスタイルを伝えたくて、エッセイを執筆
コミュニケーション本から趣味の本までこれまで5冊、今年さらに2冊の出版を予定していますが、特に趣味の世界には思い入れがあります。『はなまるマーケット』のアナウンサーだった時、旅のライターさんとロケの帰り道に、「文房具を巡る旅が好き」って話しをしたら、彼女ががんばって出版社を探してくれて、趣味本としての1冊目を出版できました。パリにもミラノにも全部自費で行く旅でしたが、それでも私は、最初の1冊が大事だと思ったから、飛び歩いて。お金はかかったけど、趣味を形にさせてもらった処女作。お店のセレクトからページ構成まで、ほとんど自分で考えたので、完全に私の旅日記です。相当オタッキーな1冊ですが、1回重版もかかったし、あの本は出してよかったと今でも社長さんが言ってくれます。 高校時代の短期留学で泊まったカナダの「バンフスプリングホテル」の部屋でライティングデスクの引き出しを開けたら、ロゴが刻まれたとっても素敵なレターセットがあって。思わず息をのんだことが海外の紙への興味、そして文房具のコレクションにつながったので、そもそも英語好きから文房具好きになったと言えるかもしれません。 アナウンサーの時代から、文房具のことになると私がかなりオタクな話を始めるので、なんだか堤信子は詳しいよ、とウワサが広がるうちにブームが来て、文房具好きとして取材を受けるようになりました。それから一冊目の本を見た別の出版社とご縁があり、2冊目は日本人が大好きな2つの都市、奈良と京都の文房具本を出すことができました。さらに、旅の本が多い出版社と文房具に特化した旅本の新しい出版企画も決まっています。 好きなことは損得抜きで走りだすと、こうやって形になるものなのですね。勉強が嫌いだった私が、大学で教えていること
今、昭和女子大学で講師をしているのですが、学生が、堤先生は大好きなアナウンサーの仕事を何年も続けていてうらやましいと言うんです。大好きな仕事をやりたくてもやれない人がほとんどだと思い込んでいて、大好きなことを仕事にするコツって何ですか? という質問も多くて。そのたびに私は、最初から大好きなことだけしてきたわけではなく、大好きじゃないことも見えないところでいっぱいやってきたと話します。 文房具も、以前から旅をして集めたりした蓄積があったからこそ、チャンスを逃さなかったわけで。自分の”大好き引き出し”をいろいろ持っていると、ここ!っていうタイミングに気づく力も育つのだと思います。 運も実力のうちって言いますが、運がいい人の引き寄せ合う力が強いように、大好き!と思う心の力も運を引き寄せるのですね、きっと。ピンチを乗り越えたら、周りに楽しくお返しします
先日、取材で「心が折れない条件」をきかれたのですが、生きていく上で大切なことは2つあると思います。1つは、自分を椅子に例えると3本より4本、5本より6本の脚で立っていること。そう考えていれば、自分を支える脚が1本や2本折れても立っていられます。大切なことが1つしかないと、それがうまくいかなかった時に心が折れてしまう。1つに夢中になることも素晴らしいことですが、自分を支えるもの(脚)がいくつかあったら、他のことに気持ちをシフトすることで自分の気持ちを強く持つことができる。だから、いろいろなことに興味を持って、チャンスがあればドンドンやってみれば良いのです。 もう一つは、自分にとって都合が良い人だけでなく、時には自分の足を引っ張ろうとする人も、人生には必要だということ。人気ドラマの主人公は次々と事件に巻き込まれますが、自分がピンチになった時に、私は今、ドラマのクライマックスにいるのだと考えると、誰でも人生というドラマの主人公になれるのです。自分を少し客観視して、乗り越えていくプロセスを少し楽しんで。ツイていないことが起こっても凹まずに、ピンチの数だけ人に良いことでお返しをしたいと考えると、人生は楽しくなってくるものです。大胆さと緻密さ、クールさと温かさ、相反するものをバランス良く併せ持ち人の心をつかむナイスガイ杉山さん、即行動なだけでなく、形になるまでちゃんと続けるという姿勢には頭が下がります。大好きなモンブランブティックでの対談、最高でした。
フリーアナウンサー、エッセイスト 堤信子
堤信子さんの『100人中99人に好かれる ありがとう上手の習慣』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)を読み、僕はどうしても「ありがとうの達人の堤さん」にお会いしたいと思い、Facebookの共通の友人に頼み、お会いするチャンスを得ました。実際にお目にかかった堤さんは、とても透き通った声の持ち主でした。ビジネスを続けていると、「ありがとう」のひとことから扉が開き、新しい出会いやチャンスが訪れるきっかけになると感じる場面が多くあります。今の自分が置かれている状況も、すべて皆様のおかげだと、あらためて実感する出会いでした。
2014年4月 モンブラン銀座本店にて ライター:藤原ようこ 撮影:鮎澤大輝