インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第61回 村上 英之 氏

百貨店業界一筋に歩んで来られた、村上英之氏。氏にニューヨーク赴任時代の出来事や、今後の抱負をお話しいただきました。

Profile

61回 村上 英之(むらかみ ひでゆき)

株式会社岩田屋三越 代表取締役社長執行役員 | 株式会社三越伊勢丹ホールディングス 常務執行役員
1956年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1979年、株式会社三越(現 株式会社三越伊勢丹)に入社。婦人服、婦人雑貨、特選衣料などの仕入れを長く担当し、1994年から2001年の約7年間は米国勤務。㈱仙台三越代表取締役社長・㈱三越伊勢丹ホールディングス執行役員、㈱三越伊勢丹執行役員 三越銀座店長などを経て、2016年4月、株式会社岩田屋三越の代表取締役社長執行役員・三越伊勢丹ホールディングス常務執行役員に就任した。
※肩書などは、インタビュー実施当時(2017年7月)のものです。

三越の歴史

1904年に、日本で初めて欧米型の百貨店が誕生しました。それが今の三越です。三越の始まりは、現在の三重県松阪市出身の三井高利が1673年に開業した、越後屋という屋号の呉服屋で、今の三井グループのオリジンです。当時の呉服屋は商品を店頭に陳列せず、お客様の要望を聞いてから商品を見繕って出します。掛け売りで定価はなく、値段は交渉で決まるという敷居が高い商売をしていました。その形をやめて「店前現銀掛け値なし」、店頭に商品を陳列し、定価による現金販売、不特定多数相手の商売にしたのが三井高利です。この画期的なビジネスモデルによって、越後屋は江戸で一番繁盛した呉服屋になりました。けれども、時代の経過の中呉服商間の競争が激化、幕末以降旧来の得意先が没落し得意先を失い、一方で急激な物価高騰で経費増大を招き、深刻な危機に陥り、その後の三井家の事業再編の中三井家から分離されることになりました。そのとき、越後屋から屋号が変っていた当時の三井呉服店の近代化に向けて慶應義塾大学出身で三井銀行にいた日比翁助ら慶應義塾出身者が資金を提供して株式会社三越呉服店を設立。さらには、呉服店は丁稚奉公の「小僧」を多数雇用していましたが、日比は慶應出身の高等教育を受けた新人を採用していました。そのようにしておのずと三越と慶應義塾の繋がりが強くなっていきました。こうして設立した三越呉服店は、専務取締役に就任した日比翁助が、イギリスのハロッズや、フランスのボンマルシェ等の先進的な百貨店を視察して、日本初の欧米型百貨店をつくりました。呉服店からの大変革、第2の創業です。

私が入社する前、ダイエーが小売業売上日本一になる前までは三越が小売業で一番売上を上げていましたが、1972年にダイエーが三越の売上を抜き、さらに1979年度には初めて売上1兆円を突破します。しかし、バブル崩壊後とともに失墜し、2000年度にはコンビニエンスストアのセブンイレブン・ジャパンに首位を明け渡します。直近の2016年度小売業売上ランキングは順に、イオン、セブン&アイHD、ファーストリテイリング、ヤマダ電機と続き5位に三越伊勢丹ホールディングスと百貨店が入り、6位にはアマゾンジャパンが1兆円を超えてランクイン。過去のランキングから小売の主役が常に入れ替わり、企業再編が繰り返されてきたことがわかります。越後屋は、欧米型の百貨店に形を変えて生き残りました。日本の百貨店の第一号として高らかに「デパートメントストア宣言」をしてから百十数年経っている三越も、形を変えながら何度か危機を乗り越えてきています。百貨店は厳しいと言われる現在、消費者のニーズに合った業態に変われるかどうか問われています。

百貨店の存在意義

今は世の中に物が溢れかえっていて、消費者は必要な時に必要なものしか買わなくなりました。時間も場所も制約のないスマートフォンで注文すれば即自宅に届く、究極の利便性のある便利なeコマース(EC)が今後確実に小売の雄の一角を担うであろう中で、どのように百貨店を利用してもらうのか、百貨店はどのような価値を提供するのかが課題であり、基盤として欠かせないECについてもまだまだ研究が必要です。但し、ECは普段使いの物の購入に向いていますが、高付加価値で上質な物、作り手のコンセプトやフィロソフィーが感じられ、その説明を受けて買う物、直しに特別な縫製の技術がいる物などは、本来、実店舗で買う物だと思いますし、ECで買えるけれども実店舗で買いたいと思っていただける本質的価値を百貨店は提供しなければなりません。

一昨年、本社の商品統括部で“NORENNOREN”というラグジュアリーに特化したECサイトを作る企画を担当しました。三越伊勢丹でなければできないという信念を持って血の出るような苦労をし、1年ほどかけて海外ブランド50社のトップと直接交渉して、最終的に25のブランドが入りました。交渉中に多くのメゾンで言われたのが、「ある程度自分たちのサイトの基盤ができたら三越伊勢丹と組みたいけれど、今はできない」という話でした。「ヨーロッパのメゾンは、店舗という特別な環境と、商品を愛している販売員がいて成り立つビジネス。インターネットでは、自分たちの商品の価値を伝え切れない」と言うのです。やはりブランドの伝統や価値観は、商品に精通した販売員が店頭で直接お客様に伝えるのが一番なのだと思います。

米国駐在時代

百貨店は、特に戦後、欧米の文化やブランド商品をどこよりも早く仕入れることがお客様に対する価値提供の一つであり、様々な海外ブランドを日本で最初に紹介してきました。2000年以降は主に商社によって行われてきましたが、僕が入社した頃はまだ百貨店の時代で、すでに契約ブランドだったティファニーとコーチの次を探すことが本社から与えられたミッションでした。いろいろなブランドにアプローチした中で、商社と最後まで張り合ったのがケイト・スペードです。ブランド側の希望は、ジャパン社を設立して銀座や青山に路面店を出すことでしたが、百貨店という館の中での商売にこだわっている我々には路面店を出すという選択肢はありませんでした。一方、商社は出資もするし、路面店も出すということで、最終的に商社が契約を取りました。

ティファニーは、僕がニューヨークに赴任していたときジャパン社設立の話があり、三越はティファニー本社に13.9%出資し、ティファニーの筆頭株主という立場でジャパン社をマネジメントしようという戦略です。駐在中はティファニー本社との窓口を担当、東京との時差の関係もあり当時は昼夜を問わず働きました。確かに大変でしたが、アメリカのビジネスを勉強する良い機会となり、赴任7年の間に僕のビジネススタイルは確立されました。

コーチに関して三越は当時、日本の独占販売権を持っていました。ニューヨークのクラフトマンシップに加えて、今の消費者に受け入れられる、ヨーロッパのブランドに負けないマーケティングを我々が教えました。それからコーチは急成長して、今では売り上げ1,000億を遥かに超えるブランドになっています。

新しいスタイルへの挑戦

三越がトライアルして売れることが分かると、路面店を出すことを条件に、ビビアン・タムやジル・シチュアート、ケイト・スペードなど、数多くのブランドが商社と契約してしまいました。そのため戦略を変え、1996年にニューヨークのライフスタイルを日本のお客様に提案するというコンセプトのセレクトショップ、“NEW YORK RUNWAY”を百貨店の中に作りました。

最初の2年くらいは売れず、数億円の在庫が溜まってしまいました。そこで、提携先であるニューヨークの高級デパート“バーグドルフ グッドマン”の元会長、アイラ・ニーマックさんにファッションに精通した人材を紹介してもらうようお願いし、ファッションオフィス出身のジョッシュパトナー氏を招き、コンセプトの見直しから始めました。一緒に銀座や新宿を歩いて日本人女性が好むテイストを勉強してもらったときに彼が言ったのは、「日本人女性の感覚は全部『かわいい』なんだ」。ニューヨーク女性の感覚は、カッコイイ、スタイリッシュ、クールで、かわいいという感覚はありません。そこで、ニューヨークのテイストにかわいいという要素を足してみることにしました。また、当時ニューヨークのファッショントレンドはドレスダウンが主流。ウォール街のビジネスマンはネクタイをしない、女性はジャケットを着ないでワンピースにカーディガンというスタイルが流行していました。NEW YORK RUNWAYでそのスタイルを紹介したところ、予想通り日本でも同様に流行り始めてとても良く売れました。ファッションにもやはり時代の変化を読み取る力があり、マーケティングができるプロフェッショナルが必要なんです。百貨店のコンセプトは、地道に情報収集して商品を探し、仕入れて売って収益を上げること。これを捨てたら、百貨店は単なる場所貸しになってしまいます。

社長の仕事

社長として重視している仕事のひとつは、社外関係の構築です。1つ目に経済団体の活動、2つ目に地域の活動があり、福岡天神のまちづくりと発展のために活動している「都心界」の会長に今年度から就任しましたが、地域貢献の重要性をますます痛感してます。もちろん社内の仕事も大事ですが、社外との関係を作り、会社のイメージを上げることはトップならではの仕事です。

岩田屋三越は、2010年の統合によって新しく生まれました。九州の中心都市である福岡の商業拠点・天神に居を置く岩田屋本店と福岡三越の2店舗を核にしながら、筑後の中心都市、久留米には郊外型百貨店・岩田屋久留米店を配し、さらには地域密着型小型店を16店舗有して福岡都市圏を面としてカバーしています。統合から7年、私が来た昨年、岩田屋は開店80周年を迎え、2年目の今年は福岡三越が開店20周年を迎える記念年です。九州の圧倒的No.1百貨店グループの構築に向けて積極的に攻めていきたいと思っています。

面識のなかった杉山さんに初めてお会いして、ソニーの創業者、盛田昭夫氏の言葉「『欲がない人間』『好奇心のない人間』に用はない」を思い出しました。
「杉山という人間を理解した上でインタビューを受けてください」ということでしょう、インタビュー前『行動する勇気』が送られてきました。実際にお会いすると著書通り。嘘偽りなく、眩しいほどのアグレッシブさと好奇心の塊のような若者。互いに米国生活を経験し、帰国子女の息子と年代が近いこともあり親近感を覚えました。
「私の哲学」は今回で61回目。当初の100回であっても回を重ねる毎に見える景色は違ってくるはずですが、目標を1,000回に掲げ直したとのこと。1,000名の方とのインタビューが実現した時、会った方々から吸収したエネルギーをどう昇華し、化学反応していくのか、杉山さんのさらなる成長ぶりが楽しみです。

株式会社岩田屋三越 代表取締役社長執行役員 村上 英之


僕は日本のデパートが好きです。「安心」や「おもてなし」を体感することができ、世界に誇れるサービスだと思います。今回のインタビューでは、三越の歴史や現代デパートのあり方など貴重なお話をたくさん伺うことができました。
村上英之さんはニューヨークでの体験を経営に生かされていて、海外での仕事・生活経験は、交渉力や意思決定を研ぎ澄ますことができるのだと感じました。自分自身ももっと海外の案件を増やしたいと思いました。 昨年から福岡で仕事する機会が増え、現在、福岡経済界での『私の哲学』に力を入れています。土地柄なのか、経営者気質の人たちが多いように思います。福岡で経営者の方々にお会いする度に、福岡を好きになっていきます。

『私の哲学』編集長 杉山大輔

2017年7月 株式会社 岩田屋三越にて  編集:楠田尚美  撮影:Sebastian Taguchi