長年、日本のサーフィン技術や文化の発展に寄与してこられた日本人初のプロサーファー、川井幹雄氏。今年70歳を迎える氏に、半世紀以上に渡るサーフィン人生を振り返っていただきました。
Profile
第75回 川井 幹雄(かわい みきお)
プロサーファー
1948年千葉県生まれ。16歳のときサーフィンに出逢って以来没頭し、数多くの大会で成績を残す。20歳の頃からはサーフボードのシェーピングも始め、自分でシェープしたボードで大会に出場する。サーフボードを供給しているプロサーファー達からフィードバックされるデータに加え、自らも毎日のように海に入りテストを繰り返すことで、常に新しく、機能的かつスムースなシェープを実現している。1966年、第1回全日本選手権優勝(計4回)。1983年全日本ロングボードコンテスト優勝(計3回)。2015年JPSAショートボード マスタープロ新島優勝。
現在は、鴨川にてサーフショップ“Kawai Surf Gallery”を経営する傍ら、プロサーフィン連盟(JPSA)顧問、JPSAロングボードディレクター、鴨川サーフィンクラブ会長を務めている。
エアマットで波に乗る
家から2、3分で海に行ける環境だったので、小学校4年生くらいから板や体を使って波に乗って遊んでいました。中学生の頃、ビーチで使う“エアマット”が出始めて、それをパンパンに膨らまして硬くして、波の上を座って滑ったり、立つのを試したりしているうちに立って乗れるようになりました。ふわふわしているところでバランス取るのが上手かったんだと思います。鴨川の海で、エアマットに立って波に乗っていたのは僕しかいませんでした。みんな腹ばいになっているだけでしたね。小さい頃から滑るのが好きだったんです。夜な夜な自転車で近所の坂まで行ってローラースケートしたり、寒い日の朝は、家の庭に水をまいて凍らせてアイススケートの真似事をしたりしていました。 1964年、東京オリンピックの開会式をテレビで観ていたら、「海に来た外国人に板を借りられたから」と、友だちから電話がかかってきて、すぐに海へ走って行きました。その頃はまだ日本にサーフィンはなく、雑誌か何かで写真を見て、立って乗るものがあるんだと知っていたくらいです。海には、ハワイ・マカハのローカルや海兵隊員が6人ぐらいフォルクスワーゲンのバンで来ていて、その人たちがロングボードを貸してくれました。腰を低くして「こうやって乗れ」と。エアマットよりもサーフボードの方が楽で、割とすぐに立って余裕で手を振っていました。いつかタヒチの波へ
「波の魅力は何ですか」と良く聞かれますが、波は砂浜に全部消えてしまうのがいい。波が割れる瞬間から消えていく姿が好きです。サーフィンの魅力は、目の前の波に乗れた、乗れないというその瞬間ですね。「あの時は回して乗れば良かった」「レイトでも行けば良かったのかな」。「次来たら絶対に乗ってやろう」と思っても乗れない、そういう悔しい思いばかり。年齢を重ねると、目で見て「これ行ける!」と思っても体がついていかないこともあるし、ボードがもう少し長かったらとか、もう少し滑り出しが良かったらなんてことの繰り返しです。やっぱり波の魅力に取り憑かれているのかな。次はいつ、どんな波に出逢うんだろうといつも考えています。 乗れないままで終わった波があると、その波に乗りたい、今度は失敗しないで絶対乗ってやろうという気持ちが出てくるんです。上手く乗れたときの記憶も残るけれど、乗れなかったときの、「ポジションが悪かった」「もう少し沖にいたら乗れたのに」といった思いが残って悔しいです。昔は逆らってばかりいたけれど、波に対する姿勢がだんだん真っすぐに変わりました。 すごい波が来るのは、やっぱりハワイですね。初めてハワイへ行ったのは、20歳くらい。そのときの波は、約12フィートのマカハボウルという、とにかく大きな波で乗れなかった。いつかタヒチの波に乗りたいですね。世界的に有名な“チョープー”というすごい波の場所があるんです。乗れるかどうか分からないけれど、見るだけでもいいので行ってみたいですね。貴重だからこそ、より真剣に
サーフィンの試合において、2番では納得できません。たまたま第一回全日本サーフィン大会で優勝してしまったので、そこから転落したくなくて朝から晩まで練習して、上手くなるのに必死でした。 そのうち何が足りないのか、自分の姿を見て研究するしかなくなります。今はスマートフォンで簡単に動画撮影できますが、当時は友だちに8ミリで撮ってもらいました。8ミリは3分しか撮影できないし、フィルムの現像が出来上がるまでに1週間かかります。映像を見ると、自分の頭の中でイメージしている姿と、8ミリに写っている自分の動きが合っていない。次に撮影してもらうときに、今よりも上手くなっているためにどうすればいいのか、夜な夜な8ミリを見て研究しました。 簡単にビデオ撮影ができる今は、映像を見ながら「君のここがこうだよね」などと教えていても、僕が8ミリで自分の映像を見ていたときとは真剣さが違うなと感じます。恵まれた環境を生かして、今よりもっと上手くなるために、手や足のつま先まで意識して練習するべきだと思います。サーフィンが教えてくれる人間の基本
最近、少しずつトレーニングを始めています。車移動が多くて下半身が弱くなってきたなと感じることがあって、主に体幹を鍛えています。「川井幹雄、何をやっているんだ」「おまえはもうじじいなのか」と、自問自答し葛藤と闘っています。70歳の今、いろいろな面でこれまでとは全然違うと感じます。「80歳になってもサンセットやるよ」などと軽々しく言えません。変わらないのは、「いい波に乗りたい」「かっこいいライディングをしたい」という気持ちです。 サーフィンには危険がたくさんありますが、海水を飲んでしまって呼吸ができなくなることがあります。もうだめかも知れないと思っていて、ふっと息が吸えたとき、呼吸ができることの素晴らしさに感動します。海の神様はいると思いますよ。海の中で突然起こるハプニングに対してどうやって対処するのか、サーフィンは人間の基本を学べます。だからなのか、やんちゃな若者にサーフィンをさせると、ピュアになって更生していくのが分かります。 五十嵐カノア選手が、2020年東京オリンピックの強化選手に内定しました。僕も年齢的にタイミングが合う時期にサーフィンがオリンピック種目になっていたら、出てみたかったですね。もちろん、金メダルを目指して。プロサーファー 川井 幹雄
第54回にご出演いただいた、滝 富夫さんのご好意でホノルルのご自宅をお借りし、サーフィン界のレジェンド、川井幹雄さんの『私の哲学』インタビュー in Hawaiiが実現!2018年3月5日で古希を迎えられる前に、これまでのサーフィン人生や生き方についてお話を伺うことができました。 逃した波と同じ波は二度と来ないように、人生もワンショットを逃さないために準備と行動が大切です。「間違えたら、次までに必ず修正する」。今の川井さんがあるのは、何度も繰り返し練習されたからであり、いくつになっても自分を磨き続ける姿勢に強く共感しました。70歳おめでとうございます! サーフメディア 2018年3月6日 ニュース 日本のサーフィンのパイオニアであるミッキーさんこと川井幹雄氏の古希をお祝いするパーティが開催された。
2018年1月 ハワイ カハラ地区にて 編集:楠田尚美 撮影:Pedro Gomes