日本プロゴルフ界のレジェンド、青木功氏。1,250試合以上戦ってきた氏に、経験から得た夢の実現、目標達成のための極意を伺いました。
Profile
第74回 青木 功(あおき いさお)
プロゴルファー | 一般社団法人日本ゴルフツアー機構 会長
1942年千葉県生まれ。14歳の頃、我孫子ゴルフ倶楽部でのキャディーのアルバイトをきっかけにゴルフと出逢う。1964年、プロテスト合格。1971年、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー初優勝。1980年全米オープン準優勝、1983年日本人初となるPGAツアー優勝(ハワイアン・オープン)を果たすなど、日本を代表する名ゴルファー。通算85勝。日本ツアー51勝は歴代2位。日本ツアー賞金王に5度輝く。2008年秋、紫綬褒章受章。2015年秋、旭日小綬章受賞。
主な著書に『ゴルフ青木流』(新潮社刊)、『勝負論』(新潮社刊)、『パットの神髄』(三笠書房刊)、『青木功 ゴルフ五輪書』(集英社刊)ほか多数。
ゴルフとの出逢い
中学3年生のときのことです。野球の県大会決勝で、ツーアウト一、三塁、1対1で同点の場面から登板した僕に、監督が出した指示は満塁策。三塁ランナーがホームスチールしそうな気配だったので3球くらい牽制球を投げて、それから投球に入った。途端にランナーはスタートを切り、「よし、延長戦だ!」と思ったら、キャッチャーがランナーに気を取られてパスボールしてしまい2対1で負けました。すごく悔しくて、親父に買ってもらったユニフォームもグローブも、全部ガソリンをかけて燃やしてしまいました。物を粗末にしたことに怒った親父は僕を殴り、「自分で勝手に生活しろ」と言いました。そんなこと言われても14歳には無理ですよね。とにかく、稼ぐというよりも食べる物を買うために始めたのが、我孫子ゴルフ倶楽部でのキャディーのアルバイトでした。お小遣いがほしくて行っただけで、プロゴルファーになろうなんて思ってなかった。ただ、キャディーをして1回50円、60円になるのがうれしかったんです。 しばらくして、親父がキャディーバッグと一緒にゴルフクラブを買ってくれることになり、貯めていたアルバイト代数千円を渡しました。しかし、キャディーバッグを担いで帰って来た親父は、そのお金をそっくりそのまま返してくれました。今度は本気だという僕の気持ちを分かってくれたのかもしれないね。そのクラブは、プロになるまで大事に使いました。悔しさを力に
海外の試合では、「やったるぞ」という思いで日の丸を背負って戦いました。周囲から何を言われようが、一人でどれくらいもがけるか、どれだけやり通せるか。「僕がやらなきゃ誰がやる」と思っていましたね。 そう思うようになったきっかけは、“ダンロップフェニックストーナメント”です。毎年11月に行われているこの試合は、1974年に海外の強豪選手を多数招待する国際トーナメントに昇格しました。8月にワールドシリーズが終わっているアメリカの招待選手は、試合の2週間くらい前から練習した程度で優勝してしまうんですよ。日本の選手はこの試合で何とか勝ちたいと調子を維持してきているのに、すでにシーズンオフに入っている海外の選手に簡単に勝たれてしまうのが悔しかった。「持って行かれた賞金を取り返してやろう」という気持ちが人一倍強かったから、海外ツアーに参戦して頑張れたんだと思います。 初めてアメリカのシニアツアーに出たときも、悔しい思いをしました。3日目にリー・トレビノに逆転されて2位になり、「明日は自分が逆転して勝つぞ」と言ったら、かみさんに「ばかね」と言われましたよ(笑)。4日間競技のレギュラーツアーとは違い、シニアツアーは3日間競技だったんです。彼には1981年の“カシオワールドオープンゴルフトーナメント”でも負けていたから、余計に悔しかったですね。「次は絶対に勝つ」と心に誓いました。プロにシーズンオフはない
僕は、いつでも仕事ができる状態にコンディションを整えています。疲れると思考力も決断力もなくなるので、睡眠はしっかり取って体を休ませるようにしています。若い人たちは“シーズンオフ”という言葉を使うけれど、いつでも試合に出られる体にしておくのがプロだと思います。一度オフにした気持ちを切り替えるのは大変ですよ。ツアーがない時期は確かにオフかもしれませんが、「明日ゴルフやろう」と言われて、迷わず「いいよ」と言えるようでなかったらプロじゃないよね。僕たちはファンに試合を見に来てもらったり、応援してもらったりしているんだから、どんな時でもその期待に応えなければならないと思います。 “プロフェッショナル”とは、どういう意味だと思う? 「お金をもらっても、もらわなくても、自分の力を出し切ること」。自分を守るにはそれしかないでしょう。実行できるかどうかは、本人次第。与えられたことができる、できないではなく、やればできるという、先に向かっていく気持ちがどれだけあるかです。未経験のことには、ぶつかっていくしかない。どうやってぶつかれば突破できるのか、何回ぶつかればいいのか。その度合いは本人にしか分からない。僕はいつも突破できるまでぶつかっていきました。1分たりとも無駄にしない
試合での勝負を決するパッティングの場面。若い頃は、「これを入れたら勝ちだ」と、強気で攻めていました。何回か優勝を重ねると、「これを外してもプレーオフで勝てばいいんだ」と思うようになりました。気持ちに余裕が出てくるんだね。一生懸命やって入らなくても、「次につながるパッティングをしたい」、「入らなくても命は取られない」と考えるようになった。是が非でも入れなくてはと思うのは、経験が少ない若いときです。 一打のパッティングが入ったがために人生が変わることもあるし、入らなくて人生が変わることもある。悔しいと思ったら、絶対入れられるように練習するか、まあいいやと思うか。若い選手は負けた試合後のインタビューで、「負けたけど、楽しめました」と言うでしょう。我々の世代は、そんなこと言ったことがない。「この次は絶対に負かしてやるからな」と思っていた。だから、優勝者に握手する時、ギューっと目いっぱい力を入れましたよ。尾崎将司も杉原輝雄もそうでした。みんな負けたくない気持ちが強かったんです。 今、何かするために5分与えられたとして、1分たりとも無駄にしないで集中できますか?人と同じことをしていても、人を抜くことはできません。仕事が終わって食事に行き、その後練習するか、しないか。人が見ていないところでも、どれだけやるべきことに没頭できるか。僕はゴルフを始めた頃パッティングが下手だったので、毎日ゴルフ場の誘蛾灯の下で連続して30球入るまで練習しました。自分の欠点を克服して、強くなりたかったから。夢を叶えるためには、目標を持って行動することが必要です。プロゴルファー 青木 功
“世界の青木さん”へのインタビューが実現したら是非パッティング勝負をしたいと思い、青木さんのパターを購入し、3ヶ月練習しました。当日、青木さんが勝負を快く引き受けてくださり感激です。通常のパッティング練習用ではきっと物足りないと思い、マットを追加して5mの長さを準備しました。僕は外しましたが、青木功さんは見事カップインされ、「僕の方が負けたくない気持ちが強かったね」とのコメント。“負けたくない気持ち”が“世界の青木”のベースにある、と肌で感じたインタビューでした。 今回はリストランテHIRAMATSUの植杉かおりさんのご協力もあって、パッティング勝負が実現しました。僕の大好きなレストランで青木さんと対談ができ、嬉しく思っています。ありがとうございました!
2017年11月 六本木テラスフィリップ・ミルにて 編集:楠田尚美 撮影:朋-tomo-