ポルシェ ジャパンを立ち上げ、ミツワ自動車時代を含めて33年間ポルシェの日本市場を牽引してきた、黒坂登志明氏。世界でただ一人の現地法人会長を務める氏に、ご自身の33年間を振り返っていただきました。
Profile
第63回 黒坂 登志明(くろさか としあき)
ポルシェ ジャパン株式会社 会長
1946年神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。1971年、本田技研工業に入社。13年間勤務した後、BMWジャパン株式会社へ転職。マーケティング理論、販売戦略を徹底的に学び、1985年ミツワ自動車株式会社に入社。取締役代理店本部長、常務取締役を歴任。ディーラーに対する丁寧なサポート、ステータス感の創出など、日本型経営と欧米型ビジネス思考を組み合わせた独自の販売方法を策定。きめ細かいマーケティング戦略による大改革を指揮し、成功を収める。1995年、ポルシェ ジャパン株式会社の代表取締役社長に就任する。ミツワ自動車入社当時、年間400台だったポルシェの国内販売台数を、10年前の2007年4,200台にまで引き上げた。2014年2月、ポルシェ ジャパン株式会社会長に就任し、現在に至る。
※肩書などは、インタビュー実施当時(2017年9月)のものです。
時には感情を表に出す
3年半前、運が悪いことに本社でマネジメントチェンジがあり、その影響もあって私は社長を降りろと言われました。そのとき、嫌だと言ってバトルしました。ポルシェ ジャパンは私が作った会社です。組織もシステムも全部私が作ったから、突然辞めろと言われるとは思っていなかった。本社が勝手に頼んだ、ドイツ人のヘッドハンターが連れて来た本命候補は若くて英語が堪能でしたが、どのタスク・プロジェクトも2、3年で移動し、驚く数のローテーションを経ていました。ヘッドハンターはそれを良いキャリアパスと高く評価していたので、私は率直に、「我々のような小規模の組織では、腰を落ち着けて深く仕事に取り組むタイプでないと組織は持たない」と、真っ向から異論を唱えました。すると、真っ赤な顔をして“I don’t think so!” と、激しく感情をあらわにしました。
ドイツ人の気質は結構激しいです。でも、怒るのは基本的に、仕事に対していかに真剣かということの表れであり、ポジティブに捉えます。
クビにするのではなく、育てる
外資系の場合、社長交代は業績が悪化したときに行います。この業界では、私は成功したまま社長をリタイアした数少ない人です。会長職に退いた私の誇りは、ミツワ自動車時代からの30年間、1人もクビにしなかったことです。これはホンダイズムでもあります。
優秀だからといって、東京大学出身の人で固めても絶対に上手くいきません。いろいろな人がいるから会社は機能するんです。誰にでも必ず欠点はありますよね。自分も含めて完璧な人はいない。だから、誰もクビにはしません。
着実に努力を積み上げた人は、経験、知識、自社製品への理解、会社文化を良く理解していてチームワークにも優れています。ビジネス環境が変化しても、外部から新しい人材を投入して即戦力にするより、今いる人を教育した方がずっと効率的で効果的です。
日本独自のマーケティング手法が世界標準に
日本の自動車業界では土曜日、日曜日にイベントを組みます。ヨーロッパやアメリカでは土日に働く人がいないので、そうしたことはしません。私は日本で最初に、組織的なイベントを開催しました。最小限の予算で最大限の効率化を図るために、様々なメディアをミックスして戦略的に行いました。本社からは、大量生産のメーカーがするようなことはやるなと言われましたが、何年か後には私のやり方がワールドワイドで標準になりました。 お客様への感謝のおもてなしとして開催した初めてのショーは、ホテルオークラで行いました。日本には200kmで走れる道路がないので、例えば、レーシングサーキットを貸し切って試乗会をしても、来ていただけるのはせいぜい50人か100人です。そのために年間10回やっても500人程度しか集められませんが、ホテルなら1日で3,000人くらいのお客様に来ていただけます。日本ではなかなかない、華やかに着飾って一流ホテルにパートナーを連れて出掛けられる場を作ることは、カスタマーリテンションの一環です。しかし、そこで売れるのは20台か30台くらい。ショーにかかる費用は数千万円ですから、本社はその効果を疑いました。
新聞広告も反対されました。スポーツカー故に、ポルシェに乗っているお客様が大人の暴走族と言われたらおしまい。一流の場所で楽しんでもらったり、一流のメディアに載せたりしてステータス感を演出する必要があるんです。「エグゼクティブの解放空間。一日の仕事が終わって家に帰るとき、ポルシェとの自分の時間が始まる」といった内容で、年間の利益が1億円くらいしかない当時に1回3,000万円かけて朝日新聞に全面広告を掲載しました。ドイツではナンセンスだと言われましたが、お客様からは、「こういうのをやって欲しかったんだ」と多くの反響があり、本社の経営が世界的な販売不調で落ち込む中、日本の市場だけが伸びてアメリカ、ドイツに次いで世界3位になりました。
人を裏切らない
ミツワ自動車時代、本社工場の採算ラインが35,000台くらいのときに経営大改革を断行し、販売価格を上げずに採算ライン15,000台くらいまでに下げることに成功し、世界で唯一、日本での販売台数は増加しました。しかし、モデルチェンジ期に在庫を多く抱えていたため、ニューモデルが出たとき、新車の値段をやや上げて在庫車の値段をかなり下げ、結果としてお客様からは、ラインナップが2つあるように見える形にしました。会議の場で本社の社長Dr. Wiedekingは、「コストダウンして販売増大を図っているのに、新車の値段を上げるなんて絶対に許さない」と怒りをあらわにし、その場に居たドイツの広報担当役員、日本担当マネージャーもみんな黙ってしまい、その場の空気が凍りつきました。そこで、少し間をおいて “Dr. Wiedeking, I explained everything about this pricing strategy to the export department, and if you don’t know, that’s your fault.”と言うと、激怒していた表情がふっとほどけて、“Yes ! that’s my fault.”と言いました。その時、自分よりも若い社長だけれど、この人だったらついて行けると思いました。
ドイツでは3回ほど窮地に立たされたことがあります。そんな時でも、“人を裏切らない”という信念を持って行動しました。日本で本社建設地に関するトラブルがあったのですが、解決していたにも関わらず、本社の役員会終了直後に本社の弁護士がその件を持ち出したんです。誰が承認したのかと社長に問い詰められましたが、承認した本社のセールスダイレクターとエグゼクティブバイスプレジデントのことは言わず、クビを覚悟ですべて私の判断でやったことだと言いました。この出来事がきっかけで付いたあだ名が“サムライ”です。
日本人に欠けているのは、このような場面でのコミュニケーション能力です。追い詰められたときに黙ってしまったり、保身に走ってしまったりするのは良くありません。結局、“国際人”なんていなくて、他人を裏切らない人、毅然とした人が国際的に通用するのだと思います。
会長の立場から見守る
ディーラーの数を増やさないのが私のポリシーでした。ディーラーを増やせば販売網が広がって販売台数が増えるという考え方は間違いです。値引き合戦が始まり、ビジネスの魅力は失われ、顧客サービスが低下し、ポルシェブランドに対するロイヤリティが下がるだけです。ポルシェというブランド力が強ければ、お客様はポルシェを好きになるし、車に投資してくれる。ディーラーを増やさずに販売台数が増えれば、ディーラー経営利益はどんどん好転していく。ディーラーは最強のブランドアンバサダーなのです。そのポリシーで私は、50店舗で380台しか売れなかった状況を、48店舗で6,000台売るまでに成長させました。日本の自動車販売網で一番利益率が高いのはおそらくポルシェです。だからポルシェのディーラーになりたがる人が多い。ディーラーの数を増やさないというポリシーは私の時代で終わり、後継者は違う方針で指揮を執っています。それはそれで良いでしょう。本社が支持し、外資系企業の常として、結果責任も、栄誉も一任されているわけですから。
初めてお会いしたのは、Porsche Japan六本木オフィスでした。第一印象は、アクティブでスタイリッシュな、好青年の印象でした(実年齢よりも若く見えた)。IT系の人に多い、スニーカーで、ラフで、No Tie という感じかと思いきや、スーツをパシッと着て、物おじしない、積極的に発言する。意外と大企業系の最先端を目指す男かな?と思いました。
話をするうちに、積極的な発言力の中に、私の時代には、いなかったタイプの人材に感じられました。私の時代は、国際派を目指す、彼は多分グローバルの時代に生きているのかなという感じがします。国際派の時代では、自分は明確に世界に対し他者として存在し、グローバルでは 自分と世界が一体で分離、対立していない時代のように思われます。聞けば、いつも起業をしていて、いわゆる大企業の組織で働いたことがないとのこと、大学や大学院で、優秀な実績を持つにもかかわらず、大組織に頼らない姿勢は、私にとっては、一種の新人類に見えます。ぜひとも先駆者的に、自分の道をさらに切り開いて新しい生き方をこれからの若い人に、示してほしいと思います。
ポルシェ ジャパン株式会社 会長 黒坂登志明
黒坂登志明さんは、DOERです。外資系企業で30年以上もトップを務めることは並大抵ではありません。本田技研、BMW、ポルシェと同じ自動車業界でも、風土が異なる企業で働いた経験があるからこそ、大局的に“ポルシェ”の日本市場でのポジショニングを作れたのだと思います。
黒坂登志明さんは、経営以外にユーモアのセンスが抜群で(笑)、コミュニケーション能力が高い。本社ドイツとやり取りするエピソードなどをお聞きし、クビになりそうでも信条を曲げず、正義感があり、やり切る力は、これからグローバル市場でのビジネス展開を考えている人には是非知ってもらいたいと強く感じました。
「杉山くんは911のターボが似合うね」。ポルシェが似合う男を目指して、さらなる飛躍をしようと思ったインタビューでした。
2017年9月 Porsche Japan 六本木オフィスにて 編集:楠田尚美 撮影:Sebastian Taguchi