地球に誕生以後、世界中に散った人類の足跡を辿る旅「グレートジャーニー」を踏破した、関野吉晴氏。氏のお話からは、人類のあるべき姿、人類が取るべき行動が見えてきます。
Profile
第40回 関野 吉晴(せきの よしはる)
探検家 | 人類学者 | 武蔵野美術大学教授
1949年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。横浜市立大学医学部卒業。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年にアマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。その後、25年の間に32回以上に渡って南米への旅を重ねる。1993年からアフリカに誕生した人類がユーラシア大陸からアメリカ大陸にまで拡散していった、約5万3千キロの旅「グレートジャーニー」を始める。2004年7月からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」をスタート。シベリア経由の「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナ経由、朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島までの「海のルート」も2011年6月13日にゴールした。1999年、植村直己冒険賞(兵庫県日高町主催)受賞。2000年、旅の文化賞(旅の文化研究所)受賞。
主な著書に『グレートジャーニー 人類5万キロの旅』(角川文庫刊)、『地球ものがたり 熱帯の森の家族』(ほるぷ出版刊)、『海のグレートジャーニーと若者たち 4700キロの気づきの旅』(武蔵野美術大学出版局刊)など多数。
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※肩書などは、インタビュー実施当時(2016年2月)のものです。
大切なのは、自分の目で見て気づく力
今、武蔵野美術大学で教鞭を執っていますが、大学に来て思ったことは、アーティストとデザイナーは観察力がすごいということです。僕は写真を撮るとき全体を見るので、細かい部分は正確に覚えていません。ところが絵を描くとなると、すべて微細に観察して頭に入っていないと描けない。ここには観察力、つまり気づきが必要になります。最近の学生には、この“気づく力”がないように思います。観察して気づいて、自分で問いを作ることができない。高校までは、問いや答えが教科書に載っています。テストの正解を知っているのは教師で、いかにその正解と回答を合わせるかという勉強をしています。しかし、大学は本来、自分で問いを見つけ、その問いを解くところ。問いには答えがない場合もあります。なくてもいいんです。重要なのは、解いていく過程です。いく通りも過程はあって、答えもいろいろある。それでいいと思います。
学生たちは、海外に行くこともあまりしなくなりました。僕が最初に行ったペルーのアマゾンでは、とても牧歌的な旅ができました。一人で歩いていると子どもたちが寄ってきて、うちに泊まってくれと僕のことを奪い合ったりして。発展途上国の人から見れば、日本はお金持ちの国です。金庫を背負った若者が歩いていると思われることを知っているから、今の若者は警戒してしまうのでしょう。仕方のないことだと思いますが、海外渡航は自由な時代なのですから、自分の目で見て観察して、感じて、考える、牧歌的な旅をたくさん経験してほしいと思います。
余っているなら、分け与えるのが当たり前
高校時代、将来やりたいことが見つからず、どこか自然も文化もまったく違うところに自分を放り込んだら、違う自分が見えてくるかもしれない、自分が変われるかもしれないと思いました。しかし、当時は親のすねをかじっていますし、海外に行くことが難しい時代でしたから、大学に入ったら勘当されてもいいから好きなことをやろうと思っていました。そして、日本とはまるで異なる文化と自然が残っている場所として、アマゾンを選びました。
アマゾンは熱帯ですから、狩猟採集したものは燻製にしても保存できるのは1週間程度です。バナナやイモ類も、収穫したら1週間くらいのうちに食べないとだめになってしまいます。つまり、彼らはモノを貯め込まないんです。貯め込めないということは、抱え込む人がいないということ。お腹いっぱい食べている人の目の前に、飢えている子どもがいることはあり得ません。余っているなら、要らない人があげるのが当たり前の社会です。マルクス主義者は、原始共産制があって徐々に変化してきたと言いますが、原始共産制はなかったと思っています。どうしてかというと、アマゾンでも野生の木1本に、「これは俺のだ」という所有権は存在しているからです。ところが、土地に関して所有権はありません。アメリカンインディアンもそうですが、土地は目に見えない、大いなるものが持っている。それを自分たちが使わせてもらっているという考え方です。
弱いから家族を作った人類
私たち人間は、弱さをバネにして生きてきました。人間とチンパンジーがケンカしても勝てませんよね。彼らには牙があるし、握力は300キロもあります。人間だと、横綱の白鵬でも100キロあるかないかです。それがゴリラになると500キロ。だから、人間は森を追い出されたのではないかと思います。握力も牙も、毛皮もない。薄い皮膚だけで鱗もなければ、毒も持っていない。二本足で立ったことで、俊敏性も劣りました。でも、弱いから二本足で立ち、家族を作ったのでしょう。二本足で立ったこと、家族を作ったことは、人類700万年の歴史の中で最大の発明だと思います。そして、両手が空いたことが非常に大きい。サルやチンパンジーも硬い木の実を石で割って食べることはしますが、人間の手は道具を使ってさらに精巧な道具を作り、武器も作りました。
二本足で歩き、家族を作った人類は2系統ありました。1系統は華奢な人たち。もう1系統は、あごが頑丈な人類です。さて、どちらが生き残ったでしょう。普通は、頑丈な顎を持った方が生き延びると思いますよね。しかし、実際に生き残ったのは華奢な方でした。それは、弱いだけに工夫をしたからです。人類がアフリカを出たのは6万年前。なぜアフリカを出たのか、なぜ世界中に広がったのかと良く聞かれますが、僕が思うに、あの山を越えたら何があるんだろうという好奇心。あの山を越えたらもっと獲物がいるんじゃないか、木の実がたくさんあるんじゃないかという向上心。この好奇心と向上心があいまって、人類は拡散したんだと思います。二足歩行は、短距離ではピューマに敵いませんが、長い距離をゆっくり歩くのには向いています。これも世界中に散った理由ではないかと考えています。
人類と地球の期限
グレートジャーニーとは、広い意味で人類の移動拡散、世界中にくまなく散っていった移動のことです。弱かった人類の移動は、旅ではなくて移民です。明治時代、農家の長男は土地を相続できましたが、次男、三男は長男の下で働くか、工場へ働きに出るか、海外に行くしかありませんでした。日本から満州やハワイ、南米に行った移民は皆、長男以外。戦後になると、今度は外国から日本に人が来るようになります。彼らは家族への仕送りや、お金を貯めて家を建てたり事業を始めたりするために来る、経済的に弱い人たちです。強い人であるお金持ちは観光で来日し、たくさん買い物をして帰っていく。こうした面でも、移民として出ていくのは弱い人たちです。
日本列島はここから先、東へは行けません。そのため、中国やシベリアで圧迫された弱い人たちが日本に集まってきたと考えています。ヨーロッパだとイギリスが同じで、それ以上西には行けません。パイオニアである人々は、新しい文化を築き、軍事や経済の面で圧迫した人よりも強くなることがあります。その典型が日本とイギリスです。良いか悪いかは別にして、日本はアジアを、イギリスは世界を制覇しようとしました。つまり、弱い人は弱いままではないということです。
人類の種には期限があって、いつかは滅びます。地球もいつかは爆発してなくなるでしょう。永久ということはないのです。だからといって他の惑星への移住を計画するのではなく、素晴らしい星である地球で生き続ける。グレートジャーニーのサブタイトルは、「この星に生き続けるための物語」です。
初めて会った時、清潔で姿勢がいいのが印象的だった。話してみると、見た目以上にエネルギッシュで行動的な青年だということがすぐに分かった。皆が目先のことを考え、短い時間で人を評価するようになっている。それでは若者は失敗を恐れ、実験的なこと、新しいことにチャレンジしない。卒なく行動しようとする。社会が澱んできてしまう。その中でチャレンジし、行動を勧める杉山大輔さんのような若者が現れることは将来の希望が持てる。第二、第三の杉山大輔が現れ、更に彼を越えていく若者が現れると素晴らしい社会になると思う。
探検家 関野吉晴
インタビュー中の関野先生の表情は、ネイティブアメリカンのように見え、身振り手振りを使った情報伝達の方法は、まるでアマゾンの方とコミュニケーションしているようでした。とても穏やかな先生の表情を拝見し、年を重ねるにつれて、それまでの人生が顔に出るのだと感じました。
これまでの関野先生の冒険は、まさに「クレイジー」と言えるでしょう。人類の足跡を自分の足で辿るという旅を私に真似することはできませんが、「自分の目で確かめる」という考え方は、いつの時代でも必要な考え方だと再確認しました。
私は、まだクレイジーと言えることは何一つ実行していません。これから少しクレイジーな行動を起こさなければと思ったインタビューでした。
2016年2月 武蔵野美術大学 新宿サテライトにて 編集:楠田尚美 撮影:植村富矩