被写体の内面の力と魅力を巧みに引き出したポートレートを撮る肖像写真家、海田悠氏。独自のスタイルで写真を撮る氏に、高度経済成長期を支えた経営者と、近年の経営者を撮影して感じたことや、写真に対する思いなどについて伺いました。
Profile
第27回 海田 悠(かいだ ゆう)
肖像写真家
1947年大阪生まれ。20歳の頃から写真を撮り始める。東京綜合写真専門学校卒業後、広告カメラマンとしてスタート。1985年に独立して、海田悠写真事務所を設立。1993年、日本の経営者130人の肖像写真による『経営者の肖像』展を開催し、写真集も発表する。その後、経営者に加え、役者や画家、バレリーナといった芸術家や政治家など、あらゆるジャンルで活躍している人々を撮影している。
オフィシャルホームページ
※肩書などは、インタビュー実施当時(2014年3月)のものです。
貴重なる130人との対峙
カメラを持ち始めた頃からずっと、日本の戦後を経営者の顔で表現したいという思いがありました。1988年に石川島播磨重工の社長や、東芝の社長・会長を歴任した土光敏夫さんが亡くなったとき、これは早くしなければ撮りたい人たちがいなくなってしまうと思い慌てました。そこで、交流のあったJALの元会長伍堂輝雄さんに、20年間温めてきた夢を実現したいと話したところ「私は何をすればいいですか」と言われたので、まず伍堂さんを撮らせてもらいました。出来上がった写真を見ていただき、どなたかご紹介していただけますかとお願いしたところ、22人に宛てた紹介状を書いてくださいました。そこから最初に撮ったのが、富士銀行元頭取の岩佐凱実さん。その次は、さくら銀行名誉会長の小山五郎さん。いきなり大企業のお二人を撮影できたので、これは順調にいくと思いました。でも、海田悠という写真家個人が戦後史をやりたいと言っても、誰もがすんなり引き受けてくれるわけではありません。トヨタ自動車の豊田章一郎さんは2年半、ソニーの盛田昭夫さんは4年半、秘書課や広報課を通じてお願いし続けました。結局このお二人は、当時新日鉄社長の齋藤裕さんにご紹介いただき撮影することができました。
貴重な体験となった『経営者の肖像』は、すべて伍堂さんから始まっています。伍堂さんがいらっしゃったから今の自分があります。本当は130人の方たちより以前、戦後日本の基盤を築いた人たちから戦後史としてやっていくと面白かったでしょうね。残念ながら鬼籍に入っていらっしゃるので撮ることは叶いません。
歩んできた人生が顔に刻まれる
人間の顔にはその人の歴史が刻まれていき、経験し積み重ねてきたものすべてが現れます。孔子の言葉に「三十にして立つ、四十にして惑わず」とあるように、我々団塊の世代くらいまでは、自分の顔に責任を持つことを目標にして生きてきた気がします。本田技研工業の創業者、本田宗一郎さんを撮ったとき彼は82歳で、愛嬌があって何とも言えない立派な顔をされていました。色気があるという表現をしてもいいかもしれません。では、この人は元々そうした顔なのかというと、そうではありません。40代の頃は、町工場の親父の顔です。世界のホンダになっていくと同時に、本田さんの顔も変わっていく。そこには人が何かを成していくことで形成される、人間の造形美みたいなものがあります。町工場の親父から世界のホンダになる過程で、背負うべきものを一つひとつ受け入れていったのでしょう。だから、晩年の本田さんの顔は可愛かったです。顔って作り上げていくものなんです。自分がやりたかったポートレートは、その人の歴史を写真で刻んでいくこと。本田さんを撮影したとき、これをやってきて間違っていなかったと思えました。
その後若い経営者を撮り始めたのは、若い頃の本田さんも撮っておきたかったと思ったからです。それから10年近く経った今、彼らの顔はどうなっているのか。成功している人もいれば、失敗している人もいる。失敗している人の顔を撮ることも大事だと思います。そこからまた這い上がってくる人もいる。その人が生きている限り撮る。人間の顔はいかに変化していくのかを、きちんとした形で残す仕事をしないとね。それを本という財産として残したいと思っています。
修養を積む
マーガレット・ヒルダ・サッチャー氏
ソニー
盛田昭夫氏
本田技研工業
本田宗一郎氏
京セラ
稲盛和夫氏
松下電器を築いた松下幸之助さんの世代は、「すべてのものは、人間の繁栄、平和、幸福に役立つところにその使命がある」という、ものすごく大きな哲学を持っていました。それを今受け継いでいるのは、京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者であり、JAL名誉会長の稲盛和夫さんだと思います。稲盛さんは精神的な話を良くされますが、経営者はある程度の年齢になると、誰もが禅などの精神世界に傾倒するようです。経営者が抱える問題を解決するには、普通の人間の知恵だけでは無理なのでしょう。昔の経営者には必ずと言っていいほど、知恵者が身近にいました。経営者は自分の価値観やポリシーがあって、きちんと判断できるけれど、賢者と言われる人からアドバイスをもらい、ああやっぱりそうなのかと再確認することが必要になります。昔の経営者の本を読むと、随分そういう話が出てきます。
経営するには、組織を束ねていく能力が必要です。日本語で言うと人徳みたいなもの。それは顔や仕草に出ます。本田宗一郎さんのように天才型の人は天真爛漫で、親父、親父とみんながついていきます。普通のサラリーマンが出世していくには、その人に徳がないと人はついていきません。でも徳って難しい。明治以降の日本はおそらく、西洋化していく中にもまだ論語の世界が残っていて、江戸時代の徳を積む教育が身に染みていました。戦後は、そうした修養を積むことがなくなっています。稲盛さんをはじめ先人が言っていることは、徳を積みなさいということです。「俺が、俺が」と言っている人は成功していないよね。
※修養を積む…学問を修め、自己の人格や品性を高めること。
衆知を集め、有意義な仕事を
私が写真を撮れるのは、あと20年くらいでしょう。20年のうちに、どれだけ貴重なる人間の顔を残していけるか。人間の顔が持っている、何ともいえない不思議なもの。歩んできた人生の中で、背負ってきたものや乗り越えてきたもの。顔に出るそれらを写真に刻んでいきたいのです。そしてカメラを持てなくなるまで撮り続け、例えば図書館など、公の場所に写真を残したいと思っています。
決めたことをくじけることなく実行し続けるのは、自分一人だけの力では無理です。松下幸之助さんは、衆知を集めるという話をされていました。一人では何もできないから、人の知恵を集める。どうしようかと考えていると人が集まってくる。これが衆知でしょうと言っています。それぞれに持っているものを生かして、それが大きな力となって物事は成功するんだろうと思います。いずれにしても、社会的に意味合いのあること、人が感動する有意義な仕事をする。それさえ忘れなければよいのだと思いますよ。
杉山大輔は経営者である。なにかと画策する。けれども成功する経営者は画策しても何かがある‥「人を信じる力がある。成功者は人間を信じる力がある」彼にもそれがある。 彼は良い眼をしている。眼がいい事は信用を得る。眼は嘘をつかない、そこに彼の姿があると思う。故に人生に成功する素質があり、20年後の彼の姿を撮るのを楽しみであるが、はたしてその時まで私は生きているかなあ…。
肖像写真家 海田悠
海田先生との出会いは、高輪台にある『メゾンカイザー グリル&バー』で「君、経営者?」と声をかけられたのがきっかけです。すぐに意気投合し、「アトリエが近くにあるから来る?」という話になり、YESが好きな言葉の僕は迷わずアトリエに伺いました。今回のインタビューも、その素晴らしい空間のアトリエで行いました。 インタビューでは、「懐に飛び込め!懐がデカイ人は受け入れてくれる」というお話が印象的でした。僕もデカイ器の方々のおかげで今の自分がいると確信しています。
2014年3月 海田悠氏スタジオにて 編集:楠田尚美 撮影:鮎澤大輝